2013年5月11日土曜日

独白。 21


十九から二十歳になった夏の終わり、
むせ返るまばらな人ごみの中に僕は立っていた。

「今までどこに行ってたのよ、急にいなくなちゃって」

久し振りの高円寺の商店街。
偶然に僕を見つけた彼女は驚いたたような困惑したような表情のまま続ける。

「バイトにも急にこなくなっちゃうし、どうしてたの」
「これ、私の電話番号。ぜったい連絡してよ、ぜったいだからね」。

彼女とは同じバイト先で知り合った。
同じバイト先とは言っても同じオーナーの経営する隣合った店の僕はバーで彼女はその隣の居酒屋でそれぞれ働いていた。

店の掃除や仕込みやら準備を一通り終えて、忙しくなる夜を迎える前に僕は隣合った居酒屋のカウンターの一番奥で賄いを食べるのだが、そのとき目にする彼女は溌剌として美しくいつも輝いてた。

店同士の裏口からは共用のスペースに冷蔵庫や物置が置いてあり、そこで顔を合わせる機会も何度かあって彼女の事は知っていた。
というのも時折僕に向けられる笑顔が印象的でその度にひとり胸をざわつかせていたからなのだけれども。

その日も忙しそうに彼女は店内を駆け回っていた。
吹き抜けになった二階の客席から彼女の声が聞こえてくる。

「それでは!今日も一日お疲れ様でした!かんぱーい!」

接客も他の店員とのやり取りにも常に声を張り上げているせいで彼女の声はいつでも枯れている。
「ほんとはこんな声じゃないんだよ」
「ここでバイトするようになってからこんなんなちゃった」。
しゃがれた声を言い訳するようにそんな事を彼女は言う。

平日の暇な日などは夕方のラッシュ明けを狙って時折僕たちはビラ配りへと駆り出される。高円寺南口のロータリー前やアーケードの商店街に立ち、道行く人に割引券などを押し付けるのだ。

そこで彼女と一緒になるたびになんとなく話すようになっていた。

ふたりして駅前に立ち行き交う影にいつものように割引券を差し出す。
夕日も傾き、茜色の空が群青に飲み込まれる頃になると妖しい色をした看板を手にした男たちがどこからともなく現れ僕たちと並んで道行く人に声を掛け始める。

男たちの手にする手持ちの看板の文字の如何わしさと清涼な彼女との存在の対比。
僕の視線に気付いた彼女が悪戯な顔で言う。

「なんか馬鹿らしくなちゃった。ちょっとさぼりに行こうよ」

そう言うと彼女は歩き出し振り返りながら手招きをする。
しばらく歩き、バイト先とは通りがふたつほど離れたカフェの二階へと向かう。

「ここならバレないでしょ」

店員に注文している僕に彼女は言う。

「あ、アイスコーヒーふたつ」

彼女の名前は「あさひ」
年は僕よりもふたつほど若く、この高円寺に子供の頃から住んでいるという。

その日から時々バイトをさぼってはふたりでこうして話すようになった。
他愛も無いことばかりだが仕事の愚痴や音楽の事や映画の話。
あさひは言う。ここでバイトしたお金を貯めてインドへ行きたいのだと。
世界を見て歩きたいのだと。

僕はといえばなんのあても無いくせに音楽をやりたいと嘯き、楽器を手に漠然と田舎の退屈から東京のこの街へと逃げて来たのだ。

生活に追われ、音楽どころではなく目的を見失いそうになりながら、せいぜい古レコード屋を徘徊しレコードをひとり聴き漁るくらいしかできない日々が続いていた。

退屈から逃げ出して来たはずだが、退屈はどこまでも僕を追いかけて来た。

この街に暮らして、僕にはじめてやさしくしてくれたのは彼女だった。