2014年6月1日日曜日

独白。22


喉元にべったりと張り付く様な重たい熱に目を覚ます。

昼間の太陽はこの建物を焼き、部屋をオーブンに変えて僕を蒸し焼きにしようとする。

緩い坂の途中に建ったこのアパートの半地下の様な僕の部屋は陽当たりとは無縁だ。
それでも太陽の熱は上から下へと建物を伝い、最下層の僕の地下室を襲う。

窓を開けるが外からは更に熱く湿った空気が流れ込んでくる。
たまらずエアコンのリモコンを手にするが、少しためらったあとでシャワーを浴びて汗を流してそのまま仕事へ出掛ける事にした。

「どこに住んでるの」と聞かれたら、「高円寺」と答える。

実際は高円寺ではなく「堀ノ内」なのだが説明する煩わしさとちょっとした見栄でそう答える事にしている。高円寺からは梅里を挟んだ更に南ですぐ隣は方南町だ。駅だって中央線の「高円寺」ではなく、丸ノ内線の「新高円寺」が最寄りなのに。

アパートから何もない住宅街をしばらく歩いて青梅街道まで出る。
五日市街道入り口の交差点から高円寺南口へと続く道を歩く。

この通りは東京だと言うのに車も人の影もまばらだ。
駅のロータリーまでで大きな道は途絶えていて、その先には細い路地といくつかの商店街と複雑な一方通行とが入り組んでいるからだろう。

青梅街道を横切り、排気ガス臭い環七通りと賑やかな商店街に挟まれたこの道を歩く。途中何軒かのレコード屋と古着屋があるくらいでほかに興味を引くものは何もない。

音も色も臭いもないただの風景のような、ただ駅へと続くだけのこの道が僕は好きだ。

途中、店へと続く道を曲がらずそのまま南口にある「Yonchome Cafe」へ向かった。
あさひと何度か来ているうちに、ひとりでも良く来るようになった四丁目にある四丁目カフェ。駅のロータリーのビルの二階部分にあるこのカフェは少しかわった造りで、人目に付かずにゆっくり出来るスペースがあるからだ。

冷たいアイスコーヒーを飲んで分厚いトーストをあらかたかじった頃、さっきまで僕を焼き殺そうとしていた太陽が少しだけその手を休ませた。太陽が傾くのを確認して店へと向かう事にした。

店へ着きシャッターを上げる。階段を上って行くと鼻を突く臭いにうんざりとする。
煙草とアルコールと化粧品と便所の芳香剤と誰かの吐瀉物の入り混じった臭い。

それを更にさっきの太陽が蒸し焼きにしてくれた臭い。

子供の頃から嗅ぎ慣れた臭い。実家の店からも同じ臭いがしていた。
あれほど嫌った臭い。気が付くとその臭いのなかで暮らしている自分を嘲う。

夜でもないのに薄暗い店内の掃除を済ませ、蒸し焼きにされた昨日の夜の汚れた空気をようやく洗い流し狭い階段から看板を引きずり下してとなりの店のそれと並べる。
となりのその店からは陽もまだ落ちきっていないというのに忙しいらしく、あさひの威勢のいい声が聞こえて来た。

しばらく惚けて聞いていたが買い出しがある事を思い出し、店に鍵を掛け出掛けようとする僕を呼ぶ声がする。

「○○ちゃーん。今日もいい男ねぇ」
「一息ついたらお茶でも飲みに寄りなさいよ」。

振り返ると向いの二階にある飲み屋の小さな窓から若くはない化粧の男の笑顔がのぞいた。その二階の飲み屋はいわゆるゲイバーというやつで、彼はいつも僕を可愛がってくれるお姉さんだ。

中年に差しかかった彼女の笑顔は、薄暗くなってきた辺りの夕闇に塗れ、かろうじて美しいものとしてとどめておく事ができた。

彼女たちは綺麗ではなくても美しい。
不純ではあっても、とても純粋だ。

太陽の熱と光の余韻がだんだんと遠ざかって行こうとする頃に、僕と僕のまわりの世界は無秩序と喧噪と混沌に向けて今日もまた動き出す。

動き出すその先には何も無い。
無秩序と喧噪と混沌をやり過ごし、ただ、ただ、その収束に向かうだけだ。