『いずれにしても生き延びていくしかないのだ。死はいつも隣にいるが、何とかごまかして、しばらくはおあずけをくわせるのにこしたことはない。』
C・ブコウスキー
検査が終わったのだろう、片付けを始めた医師がタオルを渡しながら言う。
「これで体を拭いて。血液の結果を見ると炎症はなさそうだしアルコールをやめればすぐにもとに戻るわよ、あなたまだ若いんでしょ、ガンマがこれだけ上がるってのはまだ肝臓が元気って証拠よ。年とって弱ってくるとね、上がらないのよ、どれだけ飲んでもね」。
ふぅん、そんなものなのか。
その医者の話だとこうだ、若くて元気な肝臓ほど良く働く。飲酒で飲まれたアルコールは中枢神経系に対して酩酊を来たすがアルコール自体には毒性はない。アルコールは肝臓で、主に肝細胞内にあるアルコールデヒトロゲナーゼにより代謝され肝毒性の強いアセトアルデヒドになる。
γ-GTPの値というのはかんたんに言うとアルコールを分解する時に活働した肝臓の細胞の死骸なのだという。そのため肝炎や肝硬変にまで進行してしまうと、いくら飲んでもこの数値が上がらなくなってしまう。そうして破壊しつくされ繊維化した肝細胞はもう二度と健康な状態にもどることはないのだと。死骸として排出される細胞の数自体が減ってゆくのだ。
アセトアルデヒドは肝毒性が強いので肝細胞内で産生と同時に速やかにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)により分解されて酢酸になる。酢酸からはアセチル-CoAが生成され、脂肪酸が合成されるのでアルコールを多飲すると高脂血症を来たす。これが僕の倒れたアルコールてんかんの原因ということらしい。
その医師に礼を言い診察室を出る。みぞおちの辺りに手をやり指先でそっと押してみる。ずん、と鈍い痛みを感じその内部で肝臓が悲鳴をあげているのがわかる。
そうなのだ、ずいぶん前から感じていた違和感なのだ。自覚がありながらずっと見ない振りをしてきたのだ。
タバコの残りが少ないということを思い出した僕は、検査を受ける前にちらっと覗いた売店へと向かう。先ほどの賑わいはピークを越えたのか中ではさっき目が合った女性職員が商品棚の整理をしていた。
「何かお探しですか?」と唐突に声をかけられ一瞬答えに詰まってしまう。
「あの、タバコって売ってますか?」そう伝えると彼女は申し訳けなさそうに、
「すいません、あまり種類は置いてないんですけど」とレジの後ろの棚を指差した。
メンソールのタバコはマルボロだけだった。仕方が無いのでそれをひとつと缶コーヒーをもらう事にした。レジを打つその女性は小さいながらもくりっとした瞳をした可愛らしい女性だった。ここは何かと話しかけようとしたその時、入り口の扉のガラスに映る自分の姿に愕然とした。
頬はこけ、目は落ちくぼみ、伸びきった髪はぼさぼさで髭は伸び放題。まるで落ち武者の亡霊か、そうでもなければ薄汚い浮浪者のようなのだ。僕は話しかけようとした言葉をそのまま飲み下し、タバコとコーヒーと釣り銭を受け取ると逃げ出すように売店をあとにしていた。
アルコールをやめれば肝臓はまだ元にもどるとさっきの医師は言っていた。が、果たして酒をやめるなどということが出来るのであろうか。アルコールと僕の仕事は結び付きも強いし、常に素面のままで生きて行けるほど僕自身強い人間ではない気もする。
「死んだって結構だ。いい女といい音楽、それと酒だ。最高じゃねぇか、ロックンロールだ。それ以上に何があるってんだよ、教えてくれよ」。
死んだOさんが酔ってはそうよく言っていた。そうなのだ、彼の言ってた事も僕にとっては少しは本当なのだ。別に旨い肴もいらない。気を利かせた会話も必要なければ、解り合おうとする必要も無い。大切なのはロックンロールなのだ。
酔っぱらった天使が宙に舞い上がり、酔いどれ詩人は暗闇の夜に吠える。ブコウスキーの冷たく光る月の夜。「勝手に生きろ」と彼は言う。
「人生は確かに醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうな気がしないか?」。
ブコウスキーはそう言った。そうなのだ、それもそれで本当のことなのだ。僕はそれで死んでもいいなどとは思わないし、そのうえ死にたくはないななどと考えたりもする。
不確かでメランコリックであり続けたこの世界とはたして決別できるのであろうか。僕にとってはそれよりもさらに不確かな現実の世界と素面で向かい合うことが出来るのであろうか。さっきの売店での出来事のように逃げ出してしまうのではないのだろうか。
まだアルコールの抜けた気のしないぼやけた頭の隅っこでそんな事を考えていた。
2010年12月1日水曜日
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