2011年1月6日木曜日

独白。17

 病棟に戻り喫煙室に入って一服するが、タバコが全然旨くない。となりの病棟に行って検査を受けて往復して来ただけなのに体中がだるい。しかも、真冬だというのに全身から脂汗が吹き出してきてべたべたと気持ちが悪い。
喫煙室で回る換気扇の「ごぉ」という騒音に耳を塞がれ、意識と体とがまるで別物のように感じられて来る。体は造り物のように硬く感じられ、それがまったく自分の物だとは思えなくなる。換気扇の騒音に辺りの音は掻き消され、視覚は脳裏から剥ぎ取られて体とは別のところからその映像を観ているようだ。
 どれくらいそうしていたのだろうか、喫煙室のドアを開ける音で飛んだ意識を引き戻された。
「○○君。さっきから探してるよ」
灰皿がわりに置いてある、何かの大きな空き缶を挟んで向かいに腰掛けた男がそう声を掛けて来た。その声にはっとなり顔を上げると男は僕の背にしている喫煙室のガラス張りをあごで指す。男の言う方に目をやるとガラス越しに、ひとりの看護師と目が合った。
その看護婦は僕の病室と自分の左の腕を交互に指差し何やら口を動かしている。
「点滴かなんかするんじゃないの」
向かいに座った男がそうつぶやく。そうだった、そういえばそんな事を検査に向かう前に言われていた。
ふらつく足で立ち上がり、向かいに座った男に礼も言わず、むしろ睨みつけるようにして喫煙室を出た。
「しまった、悪い癖だな」と思いながら喫煙室の前を横切り自分の病室へと向かった。

 病室に戻りベッドに腰掛けていると早速ガラガラと点滴の器具を押して看護師が入って来た。
「○○君、どこいってたの。早くしないとお昼までに終わらないわよ」
言われるがままに腕を差し出し、天井を見上げる格好で横になる。もう慣れたもので、子供の頃あれほど嫌いだった注射の類いも全く気にならなくなっている。とにかく注射が嫌いで、あの手この手でなんとか腕に針する事を避けようといろんな事をした。予防接種の朝の体温測定を書き直してみたり、体温計を擦って温度を上げ、仮病を装ってみたり、注射の時間の前に小学校を逃げ出し身を隠してみたりと。
当然、子供の浅知恵なのでこっぴどく叱られた後、結局は後日注射を打たれるはめになるのだけれども。
その話を看護師にすると、僕の耳を見てけたけたと笑った。
「よくいうわよ、耳にそんなにいくつもピアスをしてるくせに。いくつ開けてるのそれ」。

 窓越しに差し込んだ光に照らされて光る、透明な液体の入ったビニールパックを見つめる。きらきらと光りに滲んで美しい、ぽたぽたと管の中に落ちてゆく薬液のリズム。

 さっきの喫煙室の男には愛想の無いことをしてしまった。昔からそうだ、元々人見知りではあるのだが、特に最初の印象で「嫌い」だと感じてしまうとつい冷たく、愛想なく振る舞ってしまう。まぁ、その印象は大概当たっていて、最初に受けた印象が覆ることはあまり無いのだけれども。そもそもが冷たく接しているので、向こうからしてみれば当たり前と言えばあたりまえなのだが。

 物心ついた頃から一人でいることが多く、あまり社交的ではなかった。休み時間にみんながグランドでサッカーをしていてもその輪に入ることも無く、ひとり非常階段でぼんやりしているか、本を読んでいるような子供だった。
別段、運動が苦手とか嫌いな訳ではなかったのだが、ガキ大将的なリーダーシップが大嫌いで、それを中心に形成された集団というものが苦手だったのかもしれない。
大人になってもそれは変わらず、派閥だとか組織のようなものは苦手なままだ。昔から人と食事に行くのも苦手で人前で物を食べるという行為自体があまり好きではなかった。こういう性格なので人との付き合いや仕事で飲むということもストレスとなっていたのかもしれない。食事なども一人で出掛けることが多くなり、おのずと飲みに行くのも一人でということが増えていった。また、人と飲んで帰った後でも家で一人で飲み直すようになり、休みの日などはまだ陽も明るいうちに買い置きの酒を飲み出すという始末だ。

こうして、一人の世界で酔っているうちにだんだん酒量が増えてきた。

別段、何に不満があるわけでもない。世の中に絶望出来るほど真面目に生きて来たわけでもないだろう。希望に溢れているわけではないが、見ろ、世界はこんなにも美しいではないか。

じゃあ、どうしてこんなになるまで飲むのだろう。自問してみる。

「おまえ、そんなに酒が好きだったか」否。
「酔っぱらってて楽しいのか」まあ、それはある。
「そこから何かが生まれるのか」「酔ってりゃ厭な事忘れられるのか」・・

いくら自分を問いつめてみても答えは無い。理由が見当たらない。
答えや理由を探すのには到底説明の付けられない飲酒量になっているからだ。

「別れた女が忘れられなくてさ」とバーで酔いつぶれているようなレベルの飲酒量ではないのだ。

自分でもおかしいと感じていた。これは異常なことだと。
ふと、ずいぶん昔に読んだ本のことを思い出した。
石丸元章の「SPEED」という本だ。その一節にこう記してあった。

「世界最強のドラッグはアルコール」

そうなのだろうか、やっぱり僕はその「ドラッグ」に溺れてしまったのだろうか。

「連続飲酒に挑戦」とかそんなルポだった気がする。この本は作者があらゆるドラッグを身を以て体験しそれを一冊にまとめたものだが、その中にそんな項目があった。数日間アルコールを採り続けるとどうなるかということを、自らを実験台にルポタージュしたものだった。

「連続飲酒」という言葉を思い出し、自分の生活と当てはめて考えてみる。と、やはりそれは異常なことであり、常人では考えられない狂ったなにか魔物にでも取り憑かれたかのような行動だった。

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