その日もいつもの様にラストオーダーをやり過ごし、厨房を片付けた後お客の酒に付き合っていた。たいがいオーダーストップ後にやって来る客というのは顔なじみで、どこかでしこたま飲んで来たあと、まだまだ飲み足りないのか最後の仕上げにとばかりにふらふらとやって来る客や、同業者で仕事帰りに喉を潤しにやってくる様な客がほとんどだった。
ラストオーダーとは言っても腹が減ったと、なにか肴をと言われれば断る訳にはいかないのでたとえ真夜中だとしても鍋を振るうことになる。一応、深夜十二時ラストオーダー、片付けをして一時で僕の仕事は終い。という決まり事んはなってはがそんな決まりが守られる訳もなく、毎夜やってくる酔っぱらい達に酒や食事を振る舞うのだ。
そこで、付き合わされる客の酒、これがまた旨いものなのである。
「こっち来てなんでも、好きな物飲みなよ」「さっさとお仕事片付けてここにすわってよ」などとご指名があろうものならば、遠慮なくご相席いただくのである。
ビール一杯ごちそうになったり、客のボトルを飲みきって、じゃあもう一本入れようかとなればそれは店の売り上げにもなる。
つまるところ、深夜においての僕の役割はキャバクラやスナックの女の子と一緒なのだ。
そんな生活を続けているうちに、体に異変が現われた。体にというより、酒の飲み方自体にだ。
以前はどんなに飲んだ次の日の仕事でも、お昼の営業がはじまる頃にはすっかり酔いも冷めていた。それがだんだんと、酒が抜けきらないばかりか、抜けて来ると手元が震える様になってきたのだ。包丁を持つ手、料理を運ぶ手が震える。
それをごまかすために、あらかじめ買っておいた酒をあおる。厨房が仕事場なのでそこに酒が置いてあっても誰も怪しまない。調理用ワインや製菓用のリキュールの瓶の中に紛らわせておけば誰も不思議がらない。それらをちびりちびりとやりながらオーダーをこなすのである。
多少酒臭くとも、「いやぁ、きのうは飲み過ぎましたねぇ」の一言でごまかしながら。
そうなのだ知らずのうちに僕は立派な「キッチンドランカー」になっていたのだ。
そんな生活がしばらく続いた。どれくらいのあいだ酔っぱらい続けていたのだろうか。だんだん仕事も億劫になり、自分でも嫌になるほど適当で怠慢な仕事振りでやり過ごす日々が続いた。やっつけ仕事とはまさにこのことだ。
ある暑い夏の日の夜、いつもの様に客の酒で酔っていた。夜もすっかり深くなり、他の従業員はとっくに帰ってしまっていた。カウンターでは店のオーナーが酔いつぶれていた。僕は店を閉めようと片付けをはじめていた。
すると、もうひとり酔いつぶれていたお客の男がおもむろにフラフラと立ち上がる。ようやく帰るのだろうかと思い、声を掛けようとしたその時だった。席を立った男はズボンのチャックを下げ、何を思ったのかカウンター横にに置いてあったカラトリー(フォークやナイフ)のラックに向かって勢い良く小便をぶちまけたのである。
ぼんやりとその様子をみていた僕の中で、何かが弾けて飛び散った。
「もうやめよう。こんな仕事」 酔いすぎた頭とからだが僕にそうつぶやかせた。
気が付くと、はじから私物を車に放り込んでいた。
長い間のうちに随分と荷物が多くなっていて、まるで僕の部屋と化していた奥の事務所に少々手こずりながら黙々と荷物を車へと運んだ。
割と大きめのステーションワゴン。座席を倒した後ろの荷台はあっという間に荷物で一杯になっている。
それを見て、なんだか妙にすっきりとした気持ちになり大きく息を吸ってみる。
夏のにおいがしていた。
涼しい風が吹いていた。
夜はしらじらと明けようとしていた。
2011年1月7日金曜日
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