2010年7月12日月曜日

独白。10

 ひさしぶりに親父の運転する車の後部座席に座りながら考える。いつ以来なんだろうか。車はK市へと向かっている。なんとか両親とK堂の医者を説得したのだ。ただ、任意での他院への入院を条件としてなのだが。任意入院とは措置入院(保護入院)とは違い強制ではない。自分の意志で入院しますという事だ。
僕が一晩中抵抗し、両親を説得したのに医者も根負けしたのかK市にあるS病院のアルコール依存症専門病棟に紹介状を書いてくれたのだ。


 子供の頃はよく家族四人で車で出掛けた。助手席に母、その後部座席にひとつ年下の弟、その隣に僕。お決まりの指定席だ。「男はいい車に乗るものだ」と言い、そんな余裕などないくせに親父はいつも高級車に乗りたがった。

トヨタクラウンロイヤルサルーン。当然ながら中古車だった。

だけれど僕も親父も弟もみんなそれを気に入っていた。座席は上等なソファーみたいに柔らかく深く、オートマ、クーラーにステレオにパワーウインドウ。おまけに冷蔵庫まで付いている。当時、団地住まいだった我が家。家中のどこよりも快適な空間だった。もともと、お金持ちの人のために自宅やホテルの一室に居るのと変わらない居住空間をという発想の車なのに、クーラーもソファーもない家に暮らす貧乏人が乗るなんて考えてみるとなんとも滑稽だ。

それでも家族はしあわせだった。休日には母が弁当をつくり父の運転で出掛けるのだ。車の冷蔵庫には冷たい飲み物も冷えている。それでよかったのだ。

 僕が中学に上がる年、両親は商売をはじめた。親戚の経営するホテルの一角で宿泊客や観光客相手のホテルラウンジということだが、派手なコンパニオン付き宴会客の二次会会場といったところだ。それとも地元の客にセット料金の安い酒を飲ませる要はカラオケスナックだ。
夜、家におとなが居なくなった我が家が「たまり場」になるのにそれほど時間は掛からなかった。もう、やりたい放題である。
家族のあいだにはだんだんと距離が増えていった。部活を終えて帰宅する頃には両親とも仕事に出ている。帰ってくるのは真夜中で、当然のように朝も顔を合わせることが少なくなっていった。
 何年かすると親父は新車に乗るようになった。やっぱりトヨタクラウン。マジェスタとかなんとかだったか忘れたが、それはもうしあわせな家族の象徴ではなく、田舎の成金の腕に輝く趣味の悪い金の時計かブレスレッドみたいなものだった。
その頃からだろうか、友人たちと集まっては酒を飲む様になったのは。放課後は不真面目な野球部員。彼女は居てもセックスするほどの勇気もない田舎の中学生たちは、ブルーハーツを聞きながら部屋に飾った酒瓶の種類の多さとか自分の吸ってるタバコがいかに強いかということを競い合ったり、盗んできたバイクをこそこそと乗り回すくらいしかやることが無いのだ。

 車は暖房が効いていてあたたかい。会話も無い中、真冬の景色を進んで行く。親父はあいかわらず今でもクラウンに乗っている。店をやめてから何年かが過ぎてそれは新車ではなくなったが、どこで見つけてきたのだろう、中古のクラウンだ。 

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