2011年1月7日金曜日

独白。19

 陽射しはすっかり強くなっていて、日中ともなると逃げ場の無い熱気と揺らめきたつ陽炎にむせ返り、纏わり付くそれを冷えたビールで洗い流す。

夏だ。

 仕事を放棄した僕の側で、携帯電話が唸りを上げている。店のオーナーからだろう。午後になっても現われない僕と、すっかりがらんどうになってしまった事務所の様子に少しは狼狽えてるのであろうか。
僕は携帯電話の電源を切り、多少の罪悪感をごまかすために何本目かのビールを開ける。

いつだって、物の終わりなんて唐突なものなんだ。

今までもそうだったじゃないか、嫌な予感とか不安とかいうものはそれを感じ始めたときにはもうすでに手遅れで、絶対的な絶望としてすぐ傍らに寄り添っているものなのだ。気付いたときには遅いのだ。

 仕事柄飲む機会が多かったので、そうなると運転が出来ない。なので近くにアパートを借りて住んできた。実をいうと、まだ実家から通っていた頃、仕事帰りに見事に飲酒運転で捕まってしまったことがあり、それに懲りて以来ここに住んでいるのだ。
投げ出してしまったものに後ろ髪を引かれ、今から戻って謝ろうかとも考える。しかし、それよりも責任を放棄して得た、後ろめたい開放感に心地よさを憶えてしまっている。きっと、僕はもう限界なんだ。
今まで培ってきた、信頼や関係、人とのつながり、友人達。失ってしまう物もたくさんあるんだろう。だけどもういい、しばらく休ませてほしい。

 そのまま眠りについてしまったようで、気付いた頃にはもう辺りはすっかり薄暗くなっていた。窓からは夕方の涼しく濡れた空気が流れ込む。

ひとつだけ、気がかりな事がある。
今までも何度も心が折れそうになった事はあったのだが、そいつがぎりぎりのところで僕をつなぎ止めておいてくれたのだ。

 冷蔵庫を開け、中身の侘しさに舌打ちを一つしたあと、近くのコンビニへと向かう。まだだいぶ酔っている頭と躯の酔い冷ましの夕涼み、縺れる足で散歩のついでに、その気がかりな事のところへ。

しばらく歩くと青と白の看板が見えて来る。国道に面したそのコンビニを一本裏の国道と平行に伸びる裏道から目指す。仕事先にほど近いすっかり馴染みのコンビニである。
近づくにつれ、例の気がかりな事で頭はいっぱいになる。急かす気持ちが自然と歩幅を広くする。
しばらくすると遠くの方から僕を見つけたのか、何やら喚きながら近寄って来る影がある。その影は僕を確認すると歩みを小走りへと変え、真っすぐに僕の元へと駆け寄ってきた。
道路の真ん中であるという事に構いもせず、腹を上にして転げ回り、喉を鳴らし甘えてくる。

「ジョナ、ごめんな。ご飯まだでしょ」。

そう、気がかりだったのは子猫の頃から店の裏あたりに居着いている野良猫の「ジョナ」なのだ。
 
 そう言うのを理解したのかどうかは分からないが、僕の先を歩き、「早く」と言わんばかりにコンビニの方へと歩いて行く。僕が自動ドアを通るとそのドアの外に行儀良くちょこんと座り、猫だと騒ぐ人にもおくびもせず僕の買い物の様子をじっと見ている。まるで、目当てのものをちゃんと買ってくれたかチェックをしているようだ。
彼女が子猫の頃から毎日のように繰り返されているこの様子に、店員さんも慣れた様子で咎めるような事も言わない。
「今日も外で待ってますよ、からあげクンはいいんですか」。
と店員さんの口車に乗せられてついひとつ。そう、これが目当てなのだ。

猫缶とからあげクン、自分用の缶チューハイとウォッカを買う。

店を出ると、「待ってました」とばかりに甘い声で鳴き、それをねだる。
すこし離れた駐車場の隅で、チューハイの缶を開け、からあげを一緒に分けて食べる。きのうから何も食べていなかったのだろうか、猫缶もからあげもあっという間に平らげた。

満足したのだろうか、時々こちらに視線を向け何やらつぶやくように鳴いては、すぐ隣で喉を鳴らし満足そうに毛繕いをしている。

いつもと何も変わらない風景のはずなのだが、なんだか僕は自分の不甲斐なさで彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

独白。18

 その日もいつもの様にラストオーダーをやり過ごし、厨房を片付けた後お客の酒に付き合っていた。たいがいオーダーストップ後にやって来る客というのは顔なじみで、どこかでしこたま飲んで来たあと、まだまだ飲み足りないのか最後の仕上げにとばかりにふらふらとやって来る客や、同業者で仕事帰りに喉を潤しにやってくる様な客がほとんどだった。
ラストオーダーとは言っても腹が減ったと、なにか肴をと言われれば断る訳にはいかないのでたとえ真夜中だとしても鍋を振るうことになる。一応、深夜十二時ラストオーダー、片付けをして一時で僕の仕事は終い。という決まり事んはなってはがそんな決まりが守られる訳もなく、毎夜やってくる酔っぱらい達に酒や食事を振る舞うのだ。

そこで、付き合わされる客の酒、これがまた旨いものなのである。
「こっち来てなんでも、好きな物飲みなよ」「さっさとお仕事片付けてここにすわってよ」などとご指名があろうものならば、遠慮なくご相席いただくのである。
ビール一杯ごちそうになったり、客のボトルを飲みきって、じゃあもう一本入れようかとなればそれは店の売り上げにもなる。

つまるところ、深夜においての僕の役割はキャバクラやスナックの女の子と一緒なのだ。

そんな生活を続けているうちに、体に異変が現われた。体にというより、酒の飲み方自体にだ。

 以前はどんなに飲んだ次の日の仕事でも、お昼の営業がはじまる頃にはすっかり酔いも冷めていた。それがだんだんと、酒が抜けきらないばかりか、抜けて来ると手元が震える様になってきたのだ。包丁を持つ手、料理を運ぶ手が震える。
それをごまかすために、あらかじめ買っておいた酒をあおる。厨房が仕事場なのでそこに酒が置いてあっても誰も怪しまない。調理用ワインや製菓用のリキュールの瓶の中に紛らわせておけば誰も不思議がらない。それらをちびりちびりとやりながらオーダーをこなすのである。
多少酒臭くとも、「いやぁ、きのうは飲み過ぎましたねぇ」の一言でごまかしながら。

そうなのだ知らずのうちに僕は立派な「キッチンドランカー」になっていたのだ。

 そんな生活がしばらく続いた。どれくらいのあいだ酔っぱらい続けていたのだろうか。だんだん仕事も億劫になり、自分でも嫌になるほど適当で怠慢な仕事振りでやり過ごす日々が続いた。やっつけ仕事とはまさにこのことだ。

 ある暑い夏の日の夜、いつもの様に客の酒で酔っていた。夜もすっかり深くなり、他の従業員はとっくに帰ってしまっていた。カウンターでは店のオーナーが酔いつぶれていた。僕は店を閉めようと片付けをはじめていた。
すると、もうひとり酔いつぶれていたお客の男がおもむろにフラフラと立ち上がる。ようやく帰るのだろうかと思い、声を掛けようとしたその時だった。席を立った男はズボンのチャックを下げ、何を思ったのかカウンター横にに置いてあったカラトリー(フォークやナイフ)のラックに向かって勢い良く小便をぶちまけたのである。

ぼんやりとその様子をみていた僕の中で、何かが弾けて飛び散った。

「もうやめよう。こんな仕事」 酔いすぎた頭とからだが僕にそうつぶやかせた。

気が付くと、はじから私物を車に放り込んでいた。

長い間のうちに随分と荷物が多くなっていて、まるで僕の部屋と化していた奥の事務所に少々手こずりながら黙々と荷物を車へと運んだ。

割と大きめのステーションワゴン。座席を倒した後ろの荷台はあっという間に荷物で一杯になっている。
それを見て、なんだか妙にすっきりとした気持ちになり大きく息を吸ってみる。


夏のにおいがしていた。
涼しい風が吹いていた。
夜はしらじらと明けようとしていた。

2011年1月6日木曜日

独白。17

 病棟に戻り喫煙室に入って一服するが、タバコが全然旨くない。となりの病棟に行って検査を受けて往復して来ただけなのに体中がだるい。しかも、真冬だというのに全身から脂汗が吹き出してきてべたべたと気持ちが悪い。
喫煙室で回る換気扇の「ごぉ」という騒音に耳を塞がれ、意識と体とがまるで別物のように感じられて来る。体は造り物のように硬く感じられ、それがまったく自分の物だとは思えなくなる。換気扇の騒音に辺りの音は掻き消され、視覚は脳裏から剥ぎ取られて体とは別のところからその映像を観ているようだ。
 どれくらいそうしていたのだろうか、喫煙室のドアを開ける音で飛んだ意識を引き戻された。
「○○君。さっきから探してるよ」
灰皿がわりに置いてある、何かの大きな空き缶を挟んで向かいに腰掛けた男がそう声を掛けて来た。その声にはっとなり顔を上げると男は僕の背にしている喫煙室のガラス張りをあごで指す。男の言う方に目をやるとガラス越しに、ひとりの看護師と目が合った。
その看護婦は僕の病室と自分の左の腕を交互に指差し何やら口を動かしている。
「点滴かなんかするんじゃないの」
向かいに座った男がそうつぶやく。そうだった、そういえばそんな事を検査に向かう前に言われていた。
ふらつく足で立ち上がり、向かいに座った男に礼も言わず、むしろ睨みつけるようにして喫煙室を出た。
「しまった、悪い癖だな」と思いながら喫煙室の前を横切り自分の病室へと向かった。

 病室に戻りベッドに腰掛けていると早速ガラガラと点滴の器具を押して看護師が入って来た。
「○○君、どこいってたの。早くしないとお昼までに終わらないわよ」
言われるがままに腕を差し出し、天井を見上げる格好で横になる。もう慣れたもので、子供の頃あれほど嫌いだった注射の類いも全く気にならなくなっている。とにかく注射が嫌いで、あの手この手でなんとか腕に針する事を避けようといろんな事をした。予防接種の朝の体温測定を書き直してみたり、体温計を擦って温度を上げ、仮病を装ってみたり、注射の時間の前に小学校を逃げ出し身を隠してみたりと。
当然、子供の浅知恵なのでこっぴどく叱られた後、結局は後日注射を打たれるはめになるのだけれども。
その話を看護師にすると、僕の耳を見てけたけたと笑った。
「よくいうわよ、耳にそんなにいくつもピアスをしてるくせに。いくつ開けてるのそれ」。

 窓越しに差し込んだ光に照らされて光る、透明な液体の入ったビニールパックを見つめる。きらきらと光りに滲んで美しい、ぽたぽたと管の中に落ちてゆく薬液のリズム。

 さっきの喫煙室の男には愛想の無いことをしてしまった。昔からそうだ、元々人見知りではあるのだが、特に最初の印象で「嫌い」だと感じてしまうとつい冷たく、愛想なく振る舞ってしまう。まぁ、その印象は大概当たっていて、最初に受けた印象が覆ることはあまり無いのだけれども。そもそもが冷たく接しているので、向こうからしてみれば当たり前と言えばあたりまえなのだが。

 物心ついた頃から一人でいることが多く、あまり社交的ではなかった。休み時間にみんながグランドでサッカーをしていてもその輪に入ることも無く、ひとり非常階段でぼんやりしているか、本を読んでいるような子供だった。
別段、運動が苦手とか嫌いな訳ではなかったのだが、ガキ大将的なリーダーシップが大嫌いで、それを中心に形成された集団というものが苦手だったのかもしれない。
大人になってもそれは変わらず、派閥だとか組織のようなものは苦手なままだ。昔から人と食事に行くのも苦手で人前で物を食べるという行為自体があまり好きではなかった。こういう性格なので人との付き合いや仕事で飲むということもストレスとなっていたのかもしれない。食事なども一人で出掛けることが多くなり、おのずと飲みに行くのも一人でということが増えていった。また、人と飲んで帰った後でも家で一人で飲み直すようになり、休みの日などはまだ陽も明るいうちに買い置きの酒を飲み出すという始末だ。

こうして、一人の世界で酔っているうちにだんだん酒量が増えてきた。

別段、何に不満があるわけでもない。世の中に絶望出来るほど真面目に生きて来たわけでもないだろう。希望に溢れているわけではないが、見ろ、世界はこんなにも美しいではないか。

じゃあ、どうしてこんなになるまで飲むのだろう。自問してみる。

「おまえ、そんなに酒が好きだったか」否。
「酔っぱらってて楽しいのか」まあ、それはある。
「そこから何かが生まれるのか」「酔ってりゃ厭な事忘れられるのか」・・

いくら自分を問いつめてみても答えは無い。理由が見当たらない。
答えや理由を探すのには到底説明の付けられない飲酒量になっているからだ。

「別れた女が忘れられなくてさ」とバーで酔いつぶれているようなレベルの飲酒量ではないのだ。

自分でもおかしいと感じていた。これは異常なことだと。
ふと、ずいぶん昔に読んだ本のことを思い出した。
石丸元章の「SPEED」という本だ。その一節にこう記してあった。

「世界最強のドラッグはアルコール」

そうなのだろうか、やっぱり僕はその「ドラッグ」に溺れてしまったのだろうか。

「連続飲酒に挑戦」とかそんなルポだった気がする。この本は作者があらゆるドラッグを身を以て体験しそれを一冊にまとめたものだが、その中にそんな項目があった。数日間アルコールを採り続けるとどうなるかということを、自らを実験台にルポタージュしたものだった。

「連続飲酒」という言葉を思い出し、自分の生活と当てはめて考えてみる。と、やはりそれは異常なことであり、常人では考えられない狂ったなにか魔物にでも取り憑かれたかのような行動だった。

2010年12月1日水曜日

独白。16

『いずれにしても生き延びていくしかないのだ。死はいつも隣にいるが、何とかごまかして、しばらくはおあずけをくわせるのにこしたことはない。』 

                           C・ブコウスキー


  検査が終わったのだろう、片付けを始めた医師がタオルを渡しながら言う。
「これで体を拭いて。血液の結果を見ると炎症はなさそうだしアルコールをやめればすぐにもとに戻るわよ、あなたまだ若いんでしょ、ガンマがこれだけ上がるってのはまだ肝臓が元気って証拠よ。年とって弱ってくるとね、上がらないのよ、どれだけ飲んでもね」。
ふぅん、そんなものなのか。
 その医者の話だとこうだ、若くて元気な肝臓ほど良く働く。飲酒で飲まれたアルコールは中枢神経系に対して酩酊を来たすがアルコール自体には毒性はない。アルコールは肝臓で、主に肝細胞内にあるアルコールデヒトロゲナーゼにより代謝され肝毒性の強いアセトアルデヒドになる。
γ-GTPの値というのはかんたんに言うとアルコールを分解する時に活働した肝臓の細胞の死骸なのだという。そのため肝炎や肝硬変にまで進行してしまうと、いくら飲んでもこの数値が上がらなくなってしまう。そうして破壊しつくされ繊維化した肝細胞はもう二度と健康な状態にもどることはないのだと。死骸として排出される細胞の数自体が減ってゆくのだ。
 アセトアルデヒドは肝毒性が強いので肝細胞内で産生と同時に速やかにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)により分解されて酢酸になる。酢酸からはアセチル-CoAが生成され、脂肪酸が合成されるのでアルコールを多飲すると高脂血症を来たす。これが僕の倒れたアルコールてんかんの原因ということらしい。

 その医師に礼を言い診察室を出る。みぞおちの辺りに手をやり指先でそっと押してみる。ずん、と鈍い痛みを感じその内部で肝臓が悲鳴をあげているのがわかる。
そうなのだ、ずいぶん前から感じていた違和感なのだ。自覚がありながらずっと見ない振りをしてきたのだ。
 タバコの残りが少ないということを思い出した僕は、検査を受ける前にちらっと覗いた売店へと向かう。先ほどの賑わいはピークを越えたのか中ではさっき目が合った女性職員が商品棚の整理をしていた。
「何かお探しですか?」と唐突に声をかけられ一瞬答えに詰まってしまう。
「あの、タバコって売ってますか?」そう伝えると彼女は申し訳けなさそうに、
「すいません、あまり種類は置いてないんですけど」とレジの後ろの棚を指差した。
メンソールのタバコはマルボロだけだった。仕方が無いのでそれをひとつと缶コーヒーをもらう事にした。レジを打つその女性は小さいながらもくりっとした瞳をした可愛らしい女性だった。ここは何かと話しかけようとしたその時、入り口の扉のガラスに映る自分の姿に愕然とした。
頬はこけ、目は落ちくぼみ、伸びきった髪はぼさぼさで髭は伸び放題。まるで落ち武者の亡霊か、そうでもなければ薄汚い浮浪者のようなのだ。僕は話しかけようとした言葉をそのまま飲み下し、タバコとコーヒーと釣り銭を受け取ると逃げ出すように売店をあとにしていた。

 アルコールをやめれば肝臓はまだ元にもどるとさっきの医師は言っていた。が、果たして酒をやめるなどということが出来るのであろうか。アルコールと僕の仕事は結び付きも強いし、常に素面のままで生きて行けるほど僕自身強い人間ではない気もする。

「死んだって結構だ。いい女といい音楽、それと酒だ。最高じゃねぇか、ロックンロールだ。それ以上に何があるってんだよ、教えてくれよ」。

死んだOさんが酔ってはそうよく言っていた。そうなのだ、彼の言ってた事も僕にとっては少しは本当なのだ。別に旨い肴もいらない。気を利かせた会話も必要なければ、解り合おうとする必要も無い。大切なのはロックンロールなのだ。
酔っぱらった天使が宙に舞い上がり、酔いどれ詩人は暗闇の夜に吠える。ブコウスキーの冷たく光る月の夜。「勝手に生きろ」と彼は言う。

「人生は確かに醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうな気がしないか?」。

ブコウスキーはそう言った。そうなのだ、それもそれで本当のことなのだ。僕はそれで死んでもいいなどとは思わないし、そのうえ死にたくはないななどと考えたりもする。
 不確かでメランコリックであり続けたこの世界とはたして決別できるのであろうか。僕にとってはそれよりもさらに不確かな現実の世界と素面で向かい合うことが出来るのであろうか。さっきの売店での出来事のように逃げ出してしまうのではないのだろうか。

まだアルコールの抜けた気のしないぼやけた頭の隅っこでそんな事を考えていた。

2010年9月5日日曜日

独白。15

 腰をかけたベンチから、小さな運動場を挟んだ向かい側に病棟が見える。外来の病棟と閉鎖病棟だ。僕の居るアルコール病棟は別棟で「アルコールセンター」として独立している。それにしても「センター」とは。
山梨県はワインの生産地として有名で「山梨ワインセンター」なるものが存在する。前に見学に訪れたことがあるのだが、こちらは生産、販売などの技術支援等いかに山梨ワインが素晴しいものなのかということの研究と普及啓蒙を行っている。
依存症を克服し更生支援のための「アルコールセンター」。一方ではアルコールを醸造し販売し依存症者を増やす支援のための「ワインセンター」。
どちらもほかに名付けようは無かったのだろうか。

 タバコを数本吸い切る頃、母親くらいの年の看護師が僕をみつけて小走りに近づいてきた。「○○さん、食事が済んだら検査ですよ」
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。
「となりの病棟の心理室に行って下さい。そこで担当の先生が待ってますから」。
場所が分からないと聞くと、売店の向かいを入って左側のドアだという。売店の場所は知っているのでなんとかなるだろう。空になりかけているタバコの箱を見つめ、検査の帰りに売店にでも寄ってみることにする。そういえば病院という所はタバコを売っているものなのだろうか。小銭を取りに病室に戻ろうと立ち上がろうとすると一瞬目の前が暗くなり締め付けるような鈍い頭痛が走った。何日かぶりだからなのだろうか久々のタバコにひどく酔ってしまったようだ。
病室に戻ると今度は別の看護師がやって来て慌ただしく言う。採血を取るので看護室に来いと、午前中は点滴を打つので早く検査を済ませて来いとの事だ。なんとも忙しい。

 精神科と言ってもここのアルコールセンターは解放病棟になっていて基本的には出入り自由だ。許可さえもらえば施設外への外出も出来るという。近くにコンビニとかスーパーもあるらしい。ここに運ばれて来た時、どこをどう通ってやって来たのか全く憶えていないのでS病院がK市のどこにあるのかもさっぱり見当がついていないのだが。採血用の細い注射針を見つめながら「飲みたくなったらコンビニか」などとふと過る考えを振り払い、言われた通りに検査へ向かうことにする。
 売店の前まで行き物色するようにそれとなく中を覗いてみる。中では若い女性職員が忙しそうに働いていた。朝食のあとの朝の売店は混むのだろうか、レジに列ぶ患者達はジュースや菓子パンなど思い思いの品物を手にしている。「朝食の後なのに良く食えるな」などと思いながらガラス越しに見ていると女性職員と一瞬目が合う。
「よし、検査が終わったら売店だな」とポケットの中の小銭を確かめる。

 「心理室」と書かれた一室のドアを叩くと中から「どうぞ」と声がする。部屋の正面の机に腰掛ける中年の女医に検査を受けに来たとの旨を伝える。さらに右奥の部屋に案内され、白いシーツの掛かった診察台に腰を下ろす。女医は長々とカルテを眺めた後で言う。
「大変だったわね、生きてて良かったわ」そう言われるのも何度目なのだろう。上着を脱ぐように言われ診察台に横になる。エコー検査といって、音波を当て内蔵の様子を見るらしい。
「はい、ちょっと冷たいかもしれないですよ」と女医。ジェルのような透明な液体をゴム手袋をはめた手にとる。それを僕の腹部に塗った後あとなにやらハンドマッサージの器具のような物をみぞおち辺りに当がいモニターをみつめながら続ける。
「あら、やっぱり随分肥大してるわね、ちょっとここは痛む?ここは?」
と、みぞおちの中心から右脇腹の腰の近くまでをまんべんなく指先で押しながら聞いてくる。
「はい、これ見て。これがあなたの肝臓ね、ここからここまで。普通の人はね、これ位」と自分の手のひらを指を小さく揃えて見せてくる。
「ここが胃で普通ならこの裏側、ちょっと下あたりに隠れるくらいね」
女医の指差すモニターに目をやる。
「それが見て、あなたのはここからここまでが肝臓、完全に肥大してるわよ」
見ると、さっき触られたみぞおちの中心から右腹部、それに腰のあたりまでが白い影のような映像で埋め尽くされている。もう、腹部の大半を肝臓が占めているのだ。

それを見てぞっとした。フォアグラなんてものじゃない。
「ここまでくると肝炎一歩手前ね。脂肪肝でなんとか済んでるみたいだけど、もう一滴も飲んじゃ駄目だよ」。
ふと、とある本の冒頭の一文が頭に浮かんだ。

『私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依っていわゆる浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。』

それは、太宰 治の「禁酒の心」の冒頭部分である。

2010年8月30日月曜日

独白。14

 病院の朝は「ラジオ体操」ではじまる。6時の起床とともに患者、職員が中庭に集まり、まだ暗い冬の朝CDデッキの伴奏にあわせて体操をする。昨日は体調が悪く、結局食事もとらずに寝てしまって知らなかったのだが、それにしても入院早々朝はやくからこんな目に遭うとは。まさか毎日の日課なのだろうか、真冬の寒風吹きすさぶまだ薄明かりの中「ラジオ体操」だなんてとてもじゃないが付き合ってられない。よくよく見回してみると入院患者は中年から初老の男性が多く、その中に数人の女性の患者が混じっている。どの顔も一癖も二癖もありそうな面構えの連中だ。しこたま酒を喰らい、せいぜい人様に迷惑をかけた挙げ句にここまでやって来たのだろう。長年アルコールでぼろぼろにしてきた体に何を今更「ラジオ体操」なものか。体中が「肝硬変」のように強ばった体で思い思いの体操を踊る姿は、まるで泥人形か明け方の墓地によみがえった屍のようだ。とてつもなく切れの悪いマイケル・ジャクソンのスリラーの出来損ないようにも見える。
 きのうのK野さんが患者達の前に立ち手本をとって体操を続ける。まだ暗く蒼い朝にその白い看護服のコントラストが切り取ったように浮かび上がり、常人としての境界線を纏っているかのように凛として躍動を続ける。まるでこちらを寄せ付けないオーラを放つ一点の迷いも無いその運動に見蕩れてしまう。一瞬音はかき消されて刹那、僕ら患者は影になり中庭のそれはただの風景になる。永遠とも思える絶望的な距離がその間には横たわっている。

 そのまま泥人形の一行は食堂へと向かう。ぞろぞろと向かう。だらだらと向かう。
「206号室は食事当番ですよ」との声がする。どうやら患者自身が食事の準備をするらしい。食堂に行くと各々のテーブルに名前が貼ってあるので自分の名前を探し出し席に着くがどうやら座っているのは僕だけのようだ。皆、何やらそれぞれ仕事があるらしく忙しなく動き回っている。食事となったとたんのその動きはさっきまでの泥人形のそれとはうって変わり、実に手際の良い見違えるほどのものだった。
「なんだこいつら、動けるんじゃないか」思わず心の中で呟いてしまった。さっきまでとの変わり様を思ったら何だか酷く滑稽だ。
ある者はテーブルを拭き調味料や布巾を並べ、ある者はトレイに載せられた食事を配ってまわる。ほかの者も配膳台に用意されたお茶を汲もうと湯飲みやらカップを持って並んでいる。
「みなさん準備はよろしいですか」と当番らしき男。他の患者も席に付いたという所でそれをさえぎる声。「えぇ、みなさんちょっといいですか。昨日から入所されました○○さんに一言自己紹介を」と看護長らしき男。そうか、そういえばそんなこと昨日言われたな、けれど一言と言われてもこれといって思い浮かばない。
「はじめまして。○○と言います。よろしくおねがいします」と気のない挨拶をするとさっきの男が短い紹介を付け加える。すると患者達から拍手が起こった。挨拶しただけなのに拍手だなんて、そういう決まり事なのだろうが照れくさいし気持ちが悪いのでやめてくれ。
あらためて当番の男が仕切り直し、その号令で朝食がはじまった。そこで気が付いたのだがみんな各々自分の箸とコップを用意しているのだ。箸とコップはどうやら自前らしい。中には冗談のつもりなのか、それとも酒を止める気など毛頭ないのだろうか「一番搾り」と書かれたビアマグを湯飲み代わりにしている強者までいる。一生やってろ。
僕が箸もコップもなくどうしようかと思案に暮れているとさっきの号令の男が給湯室にあるからと箸とお茶をわざわざ用意してくれた。男に礼を言い用意された食事に箸をつけようとするが全く食欲がない。目の前に置かれた湯気を立てる食べ物の匂いにむしろ咽せ返ってしまいそうだ。しばらくそのまま結局何も手に付けられないでいるうちに食事の時間は終わってしまった。薬が飲めないからと食べる様に看護師に言われたが食えないものはしょうがないのだ。
 先に食事を済ませた者から看護室のカウンターで薬を受け取り看護師の確認のもと服用する。一応はちゃんと服用したかどうかを確認するようだがどうやらそれも曖昧な様子だ。

 こうして入院最初の朝を迎えた。あいかわらず意識は薄い靄掛かったようではっきりとしない。昨日は知らぬ間に眠ってしまったようで両親はとりあえずの荷物を取りに家へ戻ったとの事だった。

 ひさしぶりにとタバコの吸える場所を中庭に見つけて火をつける。いつのまにか明るくなった中庭の運動場のベンチに腰を下ろして考えてみる。

どうしてなんだろう。今のいままで生きて来て、一体何がどうやら解らなくなってしまって。朝日に照らされて濡れる、浮かぶ雲さえ泣いているように見えた。

2010年8月10日火曜日

独白。13

 病室は看護室から目の届く一階の一室。入院の初期、不安定になりやすい新人のための特等席だ。点滴や検査の類いの必要な患者は近くに居た方が看護師達にも都合が良いのだろう。
「○○さん。食事の時間にほかの患者さんに紹介しますので一言ご挨拶お願いしますね」
食事か。しばらく何も口にしていないが食欲はない。食事と聞いただけで何か酸っぱいものが込み上げてきそうだ。
「まだ食べられないかもしれないけど、少しでも、ね」
K野さんが点滴のための消毒ガーゼを当てながらそう言う。こんな状態であるにも関わらず男というのはしょうがない。本当ならこうして会話をしているのも億劫なのに「大丈夫です」などと言ってのける。これがうちの母親ほどの年齢のほかの看護師か、あるいは男性職員であったなら口もきかずに「具合が悪い」とたぬき寝入りでもしていただろう。
「一週間は、一日二回の点滴をしますね。あと、尿検査と血液検査、腹部エコーと脳波測定。落ち着いて来たら院内施設の説明と案内も」
やれやれ、である。またあの頭のチカチカするやつとかやらされるのかと思い、ここに来る前にもやったはずだと説明したのだが話に聞くと前の病院では、まるで検査にならなかったのだという。離脱症状で狂人と化した僕は、検査中終止暴れ続け結局手に負えずこうして此処に移送されたのだった。何となくだが憶えている。ああ、あの検査は失敗に終わったのか。

 あらためて病室を見渡すとそこには僕以外に二人の患者がいる。六人部屋に四つのベッドが置かれたその部屋。僕の隣のベッドには生きているのか寝たきりでまるで動かない老人。足を向けた向かいには、何やらしきりに動き回る落ち着きの無い男。まあ良い、どうでも。運ばれて来て最初は離脱症状により酷い状態の者も多いらしく、たいがいは例の保護室に入れられるのだという。もうあんな所に押し込められるのは勘弁して欲しい、それに比べてれば随分ましだ。だいたい僕は二、三日入院し養生したら折りを見て退院するつもりでいるのだ。三ヶ月も居座るつもりなど毛頭ない。
 しばらくして母親が戻って来た。親父の姿がない。どうしたのかと聞くと車で寝ているのだという。二人ともこのところ夜もろくに眠れていなかったのだろう、母親は憔悴しきった顔をしていた。
「売店があったから必要なもの買いに行くけど何か欲しいものある」
慌ててこっちに来てしまったのだろう、何も持たずに出て来てしまったらしい。
「コーヒーが飲みたい」
「はいはい、コーヒーね」
母親はすれ違う看護師や患者たちにいちいち頭を下げながら廊下を売店へと歩いていった。その背中が随分と小さく見えた。

 両親とも昔の男女にしては大柄な方だ。二人は高校の同級生で父はバレーボール、母はバスケットボールの選手で、二人とも揃ってインターハイの全国大会へ行ったのだという。昔、選手団の集合写真を自慢げに見せられた記憶がある。息子の僕が言うのも変だが、若く美しかった頃の二人がそこには映っていた。その後二人は一緒になり僕が生まれた。両親が結婚してまもなくの頃、母は一度流産しており二十六歳の時にようやく授かった子だったという。
 僕は逆子で帝王切開の後、斜頸で生まれて来た。首が右に大きく曲がったまま胎内で育ってしまったのだ。事あるごとに、「生まれながらにしての親不孝者だ」などと冗談まじりに言われたものである。両親は生まれて間もない僕のために県立病院に通い曲がった首を矯正し治療を受けさせてくれた。当時はろくな治療もせずそのまま放置されたままの子供も多かったらしい。そういえば、小学校のころ首の曲がった子供が何人かいて、ある時そのなかのある子のことを馬鹿にしたようなこと言っていじめたことがある。そんな僕を母は赤ん坊のころの写真を見せて酷く叱った。そんな写真と一緒に実家の古い箪笥の引き出しには何通かの手紙と父の古い手帳があり、それらは僕のへその緒とともに大切に仕舞ってある。母の友人からと思しき手紙には、流産の件、その後の懐妊の件そして出産のお祝いの言葉が綴られ、父の手帳には僕の生まれた日のページにこんな言葉が記してあった。

「新しい一日、新しい命と。これからは家族三人で」

そうなのだ、僕は望まれて生まれてきた命だったのだ。

 小さくなってしまった母親の背中を見ながらそんなことを思ってしまう。つくづくと思ってしまう。まだ小さな僕を腕に抱き、あのころのふたりはどんな未来を想い描いていたのだろうか。どんな夢を語り合ったのだろうか。

嗚呼、そして僕は今、なんという親不孝な息子なのだろうか。