2010年6月15日火曜日

独白。6

 さっきからずっと、誰かのうめき声の様なものが聞こえている。低く唸る様なその声は、地の底から沸き上がる様に聞こえているかと思えば、急に耳元まで近付き僕のベッドの周りをぐるぐると回り出す。うるさいので何とかしてくれと、付き添ってくれている母に言うが、気にせずに眠れと言うばかりだ。
そうか、きっと病室の誰かの具合が良くないのだろう。それにしても、酷い声だ。
気を紛らわそうと窓の外に目をやる。外は良く晴れていて、病室の向かいにある山の稜線と空の青がコントラストになっていて美しい。山のはりつめた、鼻の奥を突き抜ける様な、真冬独特の空気を思い浮かべさせる。
 しばらく眺めていると、山の麓から数人の猟銃を抱えた男が沢を挟んで登って行くのが見えた。男たちの進む先に目をやると、数匹の茶色い生き物が見える。鹿だ。その群れからはぐれた鹿を、男たちが追う。親子の様に見えるその鹿を仕留めようと、山の裾からさらに数人のハンターが登って行くのが見える。僕は少し興奮して、付き添っている母に言った。
「見てよ、鹿の親子が撃たれちゃう。かわいそうだ」
母は不思議そうな顔をして窓の先を見たあと、僕の顔を見て言う。
「あんたは心配しなくていいから。少し寝てなさい」。
そう言うと、窓のカーテンを引いた。

 付き添っている母がマスクをしている。マスクから覗く目のまわりが、歌舞伎の隈取りの様に赤い。どうしたのだろうと、思っているとそこに親父が入ってきた。見ると、親父もマスクを付け、目の周りを隈取りの様に赤くしている。よくよく気付いてみると、僕以外の看護士や他の患者、みな同じ様にマスクを掛け隈取りをしている。
僕は気味が悪くなり視線を天井に移した。みんなしてどうしたのだろうか、何か悪い病気でも流行り出したのだろうか。
 そんな事に考えをめぐらせ、しばらく天井を眺めていると、今度は天井のパネルの模様が気になりだした。
白い天井の、一つひとつが水にもどす前の乾燥わかめのような黒い模様。
天井中に、一見ばらばらではあるが、ある規則にそって整然と並んでいる模様。
じっと、よく見るとそれは動いている。ゆっくりとだが、水にもどりゆくように。
何かの映像で見た、顕微鏡の中のバクテリアか原始的な生物のように。
近付き、お互いはひとつになり、大きくなる。それを何度か重ね、ある程度の大きさになる。すると、自らの重さに耐えられなくなるのだろう、天井から落ちてくる。ちょうど、ゆっくりと大きくなって地面に墜ち、飛び散る雨垂れのようだ。 

 飛び散った飛沫はゆっくりと移動し、ふたたび天井で集まり、またそれを繰り返す。なんだか、この世界の理を、縮図にして見せてくれているようだ。
 
 どれくらい眺めていただろうか、ふと、さっきの鹿の事が気になり、身を乗り出してカーテンを開け、向いの山に目を凝らす。するとどうだろう、さっきまで、数人であったハンターはいつの間にか何十人にもなり、群れとなって鹿の親子のいる沢を取り囲み、追い込み、確実に登ってゆく。
反対側からは、自衛隊だろうか、緑の迷彩色の集団が登って行く。
「何の騒ぎだろう。演習か何かの訓練なのかな」などと思いながら眺めていると、次の瞬間。
「ズドン」
なんと、その緑の迷彩の部隊が反対側の沢に居るハンターたちに向け発砲し始めた。

僕は叫ぶ。

「大変だ、密猟者かな」「見たでしょ、今、撃ったよね」「戦争?」。

母は、困った様な顔をして僕を見ていた。

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