離脱症状の始まっていた僕は、時間や空間、現実と妄想の区別がつかなくなっていた。あらゆる感覚や思考、あたまの中のいろんな部分とからだとが、ばらばらになっているようだ。考えはまとまらず、整合性を失い自分が正気を保っているのかさえも解らなくなってきた。
白いつるっとした機械の上に寝かされた。僕を寝かせた部分は、白い半円筒の中へと吸い込まれて行く。妙に現実離れした無機質な空間だ。きっと、これは脱出用のカプセルか何かだ。母船はもう沈みそうで、僕はひとり宇宙へと放り出されるのだ。部屋の外で何か機械を操作している男の姿が見えた。僕はそれを拒むのだが、男は大丈夫だという素振りとともに操作を続ける。筒の中のスピーカーから男の声がする。
「大丈夫です。しばらく動かないで、じっとしていて下さい」
男が扉を閉めスイッチをいれる。するとカプセルは低く鈍い音と共に動き出し宇宙へと射出された。僕はひとり母船を離れ静かに宇宙を漂い始める。僕は暴れもがくが、もうその声は男にも届かない。
「CTのつぎは脳波測定です。そのあと、エコーもとっちゃいますね」。
この日、いくつかの検査があったのだ。「じゃあ、この椅子に座って下さい」椅子に座ると、あたまになにか、冷たいジェルのようなものを塗られた。そこに何十本もの電極のつながったコードを貼付けて行く。
まるで、何かの実験みたいだ。さらに、レンズの内側にLED灯のついたサングラスのようなものを付けさせられた。赤、黄、青の光を照射して、その刺激に対する脳の反応を調べる仕組みらしい。「では、はじめますね。目を閉じて下さい」。
チチッチチといった音に合わせ、まぶたのうらに鮮やかな光が明滅する。点滅のスピードや色を変え、断続的に脳に刺激をあたえる。
「ヤバいこれ、キマってたら楽しそうだな」なんて考えているうちに、さっきの妄想の続きへと引きずり込まれて行ってしまう。
しばらく彷徨い、どこかへ不時着したのだろうか。カプセルは何者かに鹵獲され、僕は身柄を拘束されている。ベッドに寝かされた僕の周りで見た事のない姿をした人たちが何やら機械を操作している。宇宙人だろうか。信号の明滅のパターンや強さを変え、鮮やかな色彩と光の映像を脳裏に映し出す。その脳波を読み取り、コミュニケーションを取ろうとしているようだ。しかし、上手く行かない。彼らは機械の出力と周波数をどんどん上げて行く。「やめろ!やめてくれ!」
あまりの信号の強烈さに僕の意識は混乱してきた。
ヤバい、さっきから検査を遊園地のアトラクションか何かと勘違いしはじめている。
キマってなくても、ヤバかったのである。
「○○さん大丈夫ですか?だいぶ暴れたみたいですけど、どうですか気分は」
あたまの芯がずんと重たくぼっとしている。なんだかひんやりと冷たく、ずいぶんと薄暗いところだ。診察室だろうか、先ほどまでとは明らかに違う空気が漂っている。「すいません。あの、ここは、どこですか?」恐る恐る聞いてみると、「憶えてないんですか、市立病院から移送されて来たんですよ」と看護士は言う。そうだ、さっきまで、僕は検査を受けていたはずだ。
「K堂病院です。市立病院で検査中に錯乱状態に陥りこちらへ搬送されて来ました」。
K堂だと!?
僕は耳を疑った。
K堂病院とは、地元では昔から有名な精神病院だ。「き○がい病院」として泣く子も黙るK堂病院。地元では、「黄色い救急車の病院に迎えに来てもらうよ!」とか「K堂に一度診てもらえ、このばか!」などと揶揄に出てくるような、違った意味でも有名な精神病院なのだ。
まずい。
これは大変な事になってしまった。
この狭い田舎街で精神病院に入院するというのは、とにかくまずいのだ。
「あいつ最近見かけないね」「K堂行っちまったらしいよ」「やっぱり、ついにぶっ壊れちまったか」なんて会話をよく耳にする。
このあたりでは、「精神病院」イコール「き○がい」なのである。酷い偏見かもしれないが、実際そんなものなのだ。
僕の友人で、市立の病院にでも行けばいいものを、あろうことかK堂病院を受診してしまった子がいた。彼女は地元の出身ではなかったので、当然そんな事情など知らずにK堂に通ってしまったのだ。ただ不眠症に悩み、薬を処方してもらうためだけの通院だったにもかかわらずだ。
噂は広まり、あっという間に彼女は「き○がい」扱いだ。
気の毒だがしょうがない。
田舎では精神病院というところは、そんな場所なのだ。
心療内科に通うのですら躊躇してしまうような、そんな街なのだ。
だから、まずい。
いよいよ、僕はき○がいの仲間入りなのだろうか。
2010年6月19日土曜日
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