2010年6月3日木曜日

独白。3

「○○さん、どうですか具合は、だいぶ落ち着いたようですが」
白衣を着た男が聞く。一歩下がった女はメモを用意している。

「血液の数値が異常です」
なんの話だろう。
いつのまに血液検査をしたのか、まだ若い清潔そうな男が言う。
「よく生きてましたね。辛くなかったですか?とにかく、いろんな値がめちゃくちゃです。見て下さいここ」
男が指差すグラフに目をやる。なんだかよく解らない棒グラフだ。
「数値が振り切っちゃってますよ」
たしかに、いくつかのグラフが表の枠の中に収まっていない。
「γ-GPTの値が6800U/Lです、なにかの間違いかと思いましたよ。こんな数値はじめて見ました。いったいどんな飲み方すればこうなるんですか?あと、GOT、血中アンモニア濃度、白血球、総タンパクすべてが高すぎます」。

 γ-GPTとかいうのは聞いたことがある。高いと良くないという事くらいしか知らないが、赤茶色に酒焼けした薄汚い顔色の中年がよく自慢げに話すあれだ。
聞くと健康な男性の数値は、12~70U/L程度らしい。内科で検査をして、200U/Lもあれば即入院だという。
「肝臓が相当ダメージを受けてますね。倒れたのは肝機能障害による高アンモニア血症のせいだと思います」
聞いていても何の事だかさっぱり解らないし、さっきから具合が悪くてしょうがない。
「いわゆる、アルコールてんかんです。今回がはじめてですか、倒れたり意識を失ったりしたことは?」
はじめてではなかった。自分では憶えていないが周りの友人に何度か指摘されたことがある。それにしても「てんかん」だとは。
「とにかく、点滴でアンモニアを下げます」
「あの、すいません、あたまの方は」
倒れてあたまを打ったからここに居るのだ。そう思って聞く僕に男が続ける。
「僕は内科の担当ですが」
どうやら、ここは総合病院らしい。救命から外科そしていつの間にか内科のベッドにいるようだ。
「あたまの方のレントゲン、これです。きれいな脳みそですよ、大丈夫みたいですね。萎縮も見られません。のちほど、CT、脳波など詳しく調べさせてもらいますが、心配いらないでしょう」
見ると僕のあたまのレントゲンだ。ほんとよく詰まっている。萎縮?ある訳がない当たり前だ。
良かった。じゃあ、すぐ帰れるな。そう思っている僕に男は恐ろしい事を話し出した。
「アルコールですが、長いですか?飲み始めて」
倒れるまでの飲み方はと聞かれれば。仕事柄、客の酒に付き合い、客の酒を飲むのも仕事。仕事帰りに知り合いの店で朝まで。朝から晩まで体からアルコールの抜けた日など、ここ二、三年ない。
「お話を伺う限り、依存が始まってると思います」。
自分でも異常だと気付いていた。ちょっとヤバいかなと。

 脳みそが、「梅酒の瓶の中の梅」のような状態の僕には聞きたくない言葉を男は続ける。
「アルコール依存症の疑いがあります。今までに離脱症状が出た事はありますか?」
離脱症状って、手が震えたり、幻覚見たり虫が見えたりするあれか。
「俗にいう、禁断症状です」。
「今夜あたりから二日程度、きついかもしれませんが覚悟してください」。
自分をただの大酒飲みだとごまかしていた僕だが、まさか、アル中とはな。

 この男の言う通りさっきから具合が悪くてしょうがない。問診に付き合うのも精一杯なくらいだ。からだは火照っているのに、悪寒がする。なにかざわざわとした不安感と何かに対する強烈な渇望。
 そうなのだ、飲みたいのだ。キツいウォッカを煽りたい。そうすれば、いくらか楽になれるのを知っている僕は、やはり男が言うようにアル中なのだろうか。
 さっさと点滴を打ってもらって、もうじき帰れるだろうと、そしたら一杯煽って寝てしまえば、あとはすっきりだ。

「はやく帰らせてくれ」と、そう思っていた。

だが、まだ僕は想像も理解もしていなかった。
離脱症状の恐ろしさを、薬物アルコールの持つ本当の恐ろしさを。

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