冷たく磨かれた床と壁を青白い安っぽい蛍光灯の明かりが照らす。重く低い天井の影になった部分は絶望的な闇を蓄えている。鼻を突く消毒液の匂いと、濡れた纏わり付くような空気。時折聞こえてくる獣のようなうめき声や突然の物音。
「ですから、○○さんの場合、保護入院という形ですので本人の意思では退院できないんですよ」
夜勤の看護士はさっきから同じ答えを繰り返すばかりだ。
「ご両親と主治医の了解がなければ無理です」そんな馬鹿な、ここは日本だぞ、そんなのありか。後々知るのだが、「保護入院」というのは、本人あるいは周辺に対し、危害を与えるような重篤な症状のある患者を本人の意思なしで拘束し、入院、保護出来る云々...という事らしい。そして、僕がいるところは「保護室」。
ベッドは無く、うすっぺらな布団と毛布。レバーの無い蛇口と便器があるだけの部屋は檻で囲まれている。監視カメラがあり、スピーカーとマイクでナース室とつながっている。用を足したら、看護士に申告し外部操作で水を出したり流す仕組みだ。部屋のドアには取っ手は無く、外からしか開けられない様になっている。
これは、本当にまずい事になってる。
実は、精神病院に足を踏み入れたのは今回がはじめてではなかった。二十歳の頃、僕は東京で暮らしていた、その当時付き合っていた彼女が、かなりぶっ壊れた子で大変な思いをしたことがある。
その時、生まれてはじめて精神病院に行ったのだが、身元保証人、つまり保護する側であったのだ。
(この話、そうとうキてるので...機会があればそのうち書きたいと思う)
まさか、その自分が精神病院の世話になるとは思ってもみなかった。
ここに一度入れられてしまうとどうなるか。過去に知っている僕は、どうにかしてここから出なくてはと考えを巡らせる。が、薬が効いているのか離脱症状なのかまったく頭が働かない。かといって、このまま入院なんて事はなんとしてでも避けなければならないのだ。とにかく、両親を呼んでもらえるよう医者か看護士に掛け合わなければ、親を説得するのだ。
そんなことを考えていると、保護室のスピーカーから看護士の声がした。「どうですか、少し落ち着いたみたいですね。点滴をしますのでいまから伺いますね」そう告げ、しばらくしてから三人の看護士が入ってくる、三人掛かりとは随分厳重だな。「運ばれて来たときは大騒ぎだったんですよ。○○さん大きいから大変でしたよ」などと言われても、まったく憶えていない。
看護士の話だとこうだ、市立病院での検査中に突然暴れ出し、手に負えない状態になりK堂病院に連絡が来た。
「男性一名、アルコールによる離脱症状。こちらでは手に負えません、移送しますので保護よろしくお願いします」なんでも、さっきまでいたような一般の病院では患者に身の危険がある場合でも、拘束したりそれらの類いの処置ができないそうだ。そこで、精神病院の出番というわけだ。そういえば、そうだった。東京のときも一度救急車で救急外来に運ばれたあと、精神病院のスタッフがあとからやってきて、彼女を拘束具でぐるぐる巻きにして運んで行ったっけ。
看護士が僕の右腕、肘のあたりにゴム管を巻き付ける。手首の甲骨張った中から血管を探し当て細い針を突き刺す。
「もう、点滴を打つ所がないのでちょっと痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね」何度も点滴の針を引きちぎり、両腕の肘の裏の血管は傷だらけで赤むらさき色に腫れている、手の甲にまで針を打つなんて、まるでジャンキーみたいだ。
「すみません。うちの両親は」と話を切り出してみる。
「いま、別室で先生と話していらっしゃいますが」
どうやら、これからどうするのかを話し合っているようだ。
「呼んでもらうことはできますか、ちょっと話したいんですが」。
「お話が終わりましたら、そちらのインターフォンで呼んで下さい。ドアを開けに来ますから」。
看護士に連れられて母がやってきた。部屋の様子をひとしきり見回し、その異様さにため息をつき口をひらく。
「まったく、こんなところに入れられちまって。情けない」恥に塗れたような顔を向けてくる。「親父は?」どうしたのだろう、一緒に来ているはずだが。
「顔も見たくないって、あんた一体どうしちまったのさ」
返す言葉は見つからない。自分でもどうしたのか、どうなっちまったのかよく解ってないのである。だが、ここから何としてでも出してもらわなければならない。
「K堂はまずいんじゃない、もう大丈夫だからさ帰ろうよ」
そうは言われても、さっきまでの自分の息子の狂いっぷりを見ていたのである。それに応じるはずもなく、「とにかく、今夜はここで診てもらうから。もう遅いし、ここに泊まっていきなさい」。そう話す母に、何とか思いとどまってもらおうと食い下がる。徐々に言葉は熱を帯び、コントロールを失ってゆく。もう、こうなると訳がわからない。
酒癖が悪いといわれる人が多くいるが、僕は決してそういうタイプではない。
よくあるような「酒買ってこんかい」と喚き散らし、女房の着物を質に入れてでも飲む。「おかあちゃん、今日のごはんは?」「おとうちゃんが全部呑んじまったよ」と、絵に描いたようなアル中。そういうタイプでもない。
飲んでいるときはご機嫌である。酒が切れる、つまり離脱症状の事なのだが、酔って暴れるよりもこっちの方が厄介なのだ。倒れてからアルコールを口にしていない僕は、知らずのうちにそういう状態にあったのだ。
「お母さん大丈夫ですか、落ち着いて下さい!」保護室に入ってくるなり僕を数人掛かりで押さえつけ、あっという間にベルトで手足を縛る。慣れたもので、見事である。
自分の目の前で、取り押さえられ、縛り上げられる息子を見せられるとは一体どんな気持ちなのだろうか。そのことを思うとなんとも情けない。
僕はとんでもない大バカ息子だ。
2010年6月29日火曜日
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