2010年12月1日水曜日

独白。16

『いずれにしても生き延びていくしかないのだ。死はいつも隣にいるが、何とかごまかして、しばらくはおあずけをくわせるのにこしたことはない。』 

                           C・ブコウスキー


  検査が終わったのだろう、片付けを始めた医師がタオルを渡しながら言う。
「これで体を拭いて。血液の結果を見ると炎症はなさそうだしアルコールをやめればすぐにもとに戻るわよ、あなたまだ若いんでしょ、ガンマがこれだけ上がるってのはまだ肝臓が元気って証拠よ。年とって弱ってくるとね、上がらないのよ、どれだけ飲んでもね」。
ふぅん、そんなものなのか。
 その医者の話だとこうだ、若くて元気な肝臓ほど良く働く。飲酒で飲まれたアルコールは中枢神経系に対して酩酊を来たすがアルコール自体には毒性はない。アルコールは肝臓で、主に肝細胞内にあるアルコールデヒトロゲナーゼにより代謝され肝毒性の強いアセトアルデヒドになる。
γ-GTPの値というのはかんたんに言うとアルコールを分解する時に活働した肝臓の細胞の死骸なのだという。そのため肝炎や肝硬変にまで進行してしまうと、いくら飲んでもこの数値が上がらなくなってしまう。そうして破壊しつくされ繊維化した肝細胞はもう二度と健康な状態にもどることはないのだと。死骸として排出される細胞の数自体が減ってゆくのだ。
 アセトアルデヒドは肝毒性が強いので肝細胞内で産生と同時に速やかにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)により分解されて酢酸になる。酢酸からはアセチル-CoAが生成され、脂肪酸が合成されるのでアルコールを多飲すると高脂血症を来たす。これが僕の倒れたアルコールてんかんの原因ということらしい。

 その医師に礼を言い診察室を出る。みぞおちの辺りに手をやり指先でそっと押してみる。ずん、と鈍い痛みを感じその内部で肝臓が悲鳴をあげているのがわかる。
そうなのだ、ずいぶん前から感じていた違和感なのだ。自覚がありながらずっと見ない振りをしてきたのだ。
 タバコの残りが少ないということを思い出した僕は、検査を受ける前にちらっと覗いた売店へと向かう。先ほどの賑わいはピークを越えたのか中ではさっき目が合った女性職員が商品棚の整理をしていた。
「何かお探しですか?」と唐突に声をかけられ一瞬答えに詰まってしまう。
「あの、タバコって売ってますか?」そう伝えると彼女は申し訳けなさそうに、
「すいません、あまり種類は置いてないんですけど」とレジの後ろの棚を指差した。
メンソールのタバコはマルボロだけだった。仕方が無いのでそれをひとつと缶コーヒーをもらう事にした。レジを打つその女性は小さいながらもくりっとした瞳をした可愛らしい女性だった。ここは何かと話しかけようとしたその時、入り口の扉のガラスに映る自分の姿に愕然とした。
頬はこけ、目は落ちくぼみ、伸びきった髪はぼさぼさで髭は伸び放題。まるで落ち武者の亡霊か、そうでもなければ薄汚い浮浪者のようなのだ。僕は話しかけようとした言葉をそのまま飲み下し、タバコとコーヒーと釣り銭を受け取ると逃げ出すように売店をあとにしていた。

 アルコールをやめれば肝臓はまだ元にもどるとさっきの医師は言っていた。が、果たして酒をやめるなどということが出来るのであろうか。アルコールと僕の仕事は結び付きも強いし、常に素面のままで生きて行けるほど僕自身強い人間ではない気もする。

「死んだって結構だ。いい女といい音楽、それと酒だ。最高じゃねぇか、ロックンロールだ。それ以上に何があるってんだよ、教えてくれよ」。

死んだOさんが酔ってはそうよく言っていた。そうなのだ、彼の言ってた事も僕にとっては少しは本当なのだ。別に旨い肴もいらない。気を利かせた会話も必要なければ、解り合おうとする必要も無い。大切なのはロックンロールなのだ。
酔っぱらった天使が宙に舞い上がり、酔いどれ詩人は暗闇の夜に吠える。ブコウスキーの冷たく光る月の夜。「勝手に生きろ」と彼は言う。

「人生は確かに醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうな気がしないか?」。

ブコウスキーはそう言った。そうなのだ、それもそれで本当のことなのだ。僕はそれで死んでもいいなどとは思わないし、そのうえ死にたくはないななどと考えたりもする。
 不確かでメランコリックであり続けたこの世界とはたして決別できるのであろうか。僕にとってはそれよりもさらに不確かな現実の世界と素面で向かい合うことが出来るのであろうか。さっきの売店での出来事のように逃げ出してしまうのではないのだろうか。

まだアルコールの抜けた気のしないぼやけた頭の隅っこでそんな事を考えていた。

2010年9月5日日曜日

独白。15

 腰をかけたベンチから、小さな運動場を挟んだ向かい側に病棟が見える。外来の病棟と閉鎖病棟だ。僕の居るアルコール病棟は別棟で「アルコールセンター」として独立している。それにしても「センター」とは。
山梨県はワインの生産地として有名で「山梨ワインセンター」なるものが存在する。前に見学に訪れたことがあるのだが、こちらは生産、販売などの技術支援等いかに山梨ワインが素晴しいものなのかということの研究と普及啓蒙を行っている。
依存症を克服し更生支援のための「アルコールセンター」。一方ではアルコールを醸造し販売し依存症者を増やす支援のための「ワインセンター」。
どちらもほかに名付けようは無かったのだろうか。

 タバコを数本吸い切る頃、母親くらいの年の看護師が僕をみつけて小走りに近づいてきた。「○○さん、食事が済んだら検査ですよ」
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。
「となりの病棟の心理室に行って下さい。そこで担当の先生が待ってますから」。
場所が分からないと聞くと、売店の向かいを入って左側のドアだという。売店の場所は知っているのでなんとかなるだろう。空になりかけているタバコの箱を見つめ、検査の帰りに売店にでも寄ってみることにする。そういえば病院という所はタバコを売っているものなのだろうか。小銭を取りに病室に戻ろうと立ち上がろうとすると一瞬目の前が暗くなり締め付けるような鈍い頭痛が走った。何日かぶりだからなのだろうか久々のタバコにひどく酔ってしまったようだ。
病室に戻ると今度は別の看護師がやって来て慌ただしく言う。採血を取るので看護室に来いと、午前中は点滴を打つので早く検査を済ませて来いとの事だ。なんとも忙しい。

 精神科と言ってもここのアルコールセンターは解放病棟になっていて基本的には出入り自由だ。許可さえもらえば施設外への外出も出来るという。近くにコンビニとかスーパーもあるらしい。ここに運ばれて来た時、どこをどう通ってやって来たのか全く憶えていないのでS病院がK市のどこにあるのかもさっぱり見当がついていないのだが。採血用の細い注射針を見つめながら「飲みたくなったらコンビニか」などとふと過る考えを振り払い、言われた通りに検査へ向かうことにする。
 売店の前まで行き物色するようにそれとなく中を覗いてみる。中では若い女性職員が忙しそうに働いていた。朝食のあとの朝の売店は混むのだろうか、レジに列ぶ患者達はジュースや菓子パンなど思い思いの品物を手にしている。「朝食の後なのに良く食えるな」などと思いながらガラス越しに見ていると女性職員と一瞬目が合う。
「よし、検査が終わったら売店だな」とポケットの中の小銭を確かめる。

 「心理室」と書かれた一室のドアを叩くと中から「どうぞ」と声がする。部屋の正面の机に腰掛ける中年の女医に検査を受けに来たとの旨を伝える。さらに右奥の部屋に案内され、白いシーツの掛かった診察台に腰を下ろす。女医は長々とカルテを眺めた後で言う。
「大変だったわね、生きてて良かったわ」そう言われるのも何度目なのだろう。上着を脱ぐように言われ診察台に横になる。エコー検査といって、音波を当て内蔵の様子を見るらしい。
「はい、ちょっと冷たいかもしれないですよ」と女医。ジェルのような透明な液体をゴム手袋をはめた手にとる。それを僕の腹部に塗った後あとなにやらハンドマッサージの器具のような物をみぞおち辺りに当がいモニターをみつめながら続ける。
「あら、やっぱり随分肥大してるわね、ちょっとここは痛む?ここは?」
と、みぞおちの中心から右脇腹の腰の近くまでをまんべんなく指先で押しながら聞いてくる。
「はい、これ見て。これがあなたの肝臓ね、ここからここまで。普通の人はね、これ位」と自分の手のひらを指を小さく揃えて見せてくる。
「ここが胃で普通ならこの裏側、ちょっと下あたりに隠れるくらいね」
女医の指差すモニターに目をやる。
「それが見て、あなたのはここからここまでが肝臓、完全に肥大してるわよ」
見ると、さっき触られたみぞおちの中心から右腹部、それに腰のあたりまでが白い影のような映像で埋め尽くされている。もう、腹部の大半を肝臓が占めているのだ。

それを見てぞっとした。フォアグラなんてものじゃない。
「ここまでくると肝炎一歩手前ね。脂肪肝でなんとか済んでるみたいだけど、もう一滴も飲んじゃ駄目だよ」。
ふと、とある本の冒頭の一文が頭に浮かんだ。

『私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依っていわゆる浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。』

それは、太宰 治の「禁酒の心」の冒頭部分である。

2010年8月30日月曜日

独白。14

 病院の朝は「ラジオ体操」ではじまる。6時の起床とともに患者、職員が中庭に集まり、まだ暗い冬の朝CDデッキの伴奏にあわせて体操をする。昨日は体調が悪く、結局食事もとらずに寝てしまって知らなかったのだが、それにしても入院早々朝はやくからこんな目に遭うとは。まさか毎日の日課なのだろうか、真冬の寒風吹きすさぶまだ薄明かりの中「ラジオ体操」だなんてとてもじゃないが付き合ってられない。よくよく見回してみると入院患者は中年から初老の男性が多く、その中に数人の女性の患者が混じっている。どの顔も一癖も二癖もありそうな面構えの連中だ。しこたま酒を喰らい、せいぜい人様に迷惑をかけた挙げ句にここまでやって来たのだろう。長年アルコールでぼろぼろにしてきた体に何を今更「ラジオ体操」なものか。体中が「肝硬変」のように強ばった体で思い思いの体操を踊る姿は、まるで泥人形か明け方の墓地によみがえった屍のようだ。とてつもなく切れの悪いマイケル・ジャクソンのスリラーの出来損ないようにも見える。
 きのうのK野さんが患者達の前に立ち手本をとって体操を続ける。まだ暗く蒼い朝にその白い看護服のコントラストが切り取ったように浮かび上がり、常人としての境界線を纏っているかのように凛として躍動を続ける。まるでこちらを寄せ付けないオーラを放つ一点の迷いも無いその運動に見蕩れてしまう。一瞬音はかき消されて刹那、僕ら患者は影になり中庭のそれはただの風景になる。永遠とも思える絶望的な距離がその間には横たわっている。

 そのまま泥人形の一行は食堂へと向かう。ぞろぞろと向かう。だらだらと向かう。
「206号室は食事当番ですよ」との声がする。どうやら患者自身が食事の準備をするらしい。食堂に行くと各々のテーブルに名前が貼ってあるので自分の名前を探し出し席に着くがどうやら座っているのは僕だけのようだ。皆、何やらそれぞれ仕事があるらしく忙しなく動き回っている。食事となったとたんのその動きはさっきまでの泥人形のそれとはうって変わり、実に手際の良い見違えるほどのものだった。
「なんだこいつら、動けるんじゃないか」思わず心の中で呟いてしまった。さっきまでとの変わり様を思ったら何だか酷く滑稽だ。
ある者はテーブルを拭き調味料や布巾を並べ、ある者はトレイに載せられた食事を配ってまわる。ほかの者も配膳台に用意されたお茶を汲もうと湯飲みやらカップを持って並んでいる。
「みなさん準備はよろしいですか」と当番らしき男。他の患者も席に付いたという所でそれをさえぎる声。「えぇ、みなさんちょっといいですか。昨日から入所されました○○さんに一言自己紹介を」と看護長らしき男。そうか、そういえばそんなこと昨日言われたな、けれど一言と言われてもこれといって思い浮かばない。
「はじめまして。○○と言います。よろしくおねがいします」と気のない挨拶をするとさっきの男が短い紹介を付け加える。すると患者達から拍手が起こった。挨拶しただけなのに拍手だなんて、そういう決まり事なのだろうが照れくさいし気持ちが悪いのでやめてくれ。
あらためて当番の男が仕切り直し、その号令で朝食がはじまった。そこで気が付いたのだがみんな各々自分の箸とコップを用意しているのだ。箸とコップはどうやら自前らしい。中には冗談のつもりなのか、それとも酒を止める気など毛頭ないのだろうか「一番搾り」と書かれたビアマグを湯飲み代わりにしている強者までいる。一生やってろ。
僕が箸もコップもなくどうしようかと思案に暮れているとさっきの号令の男が給湯室にあるからと箸とお茶をわざわざ用意してくれた。男に礼を言い用意された食事に箸をつけようとするが全く食欲がない。目の前に置かれた湯気を立てる食べ物の匂いにむしろ咽せ返ってしまいそうだ。しばらくそのまま結局何も手に付けられないでいるうちに食事の時間は終わってしまった。薬が飲めないからと食べる様に看護師に言われたが食えないものはしょうがないのだ。
 先に食事を済ませた者から看護室のカウンターで薬を受け取り看護師の確認のもと服用する。一応はちゃんと服用したかどうかを確認するようだがどうやらそれも曖昧な様子だ。

 こうして入院最初の朝を迎えた。あいかわらず意識は薄い靄掛かったようではっきりとしない。昨日は知らぬ間に眠ってしまったようで両親はとりあえずの荷物を取りに家へ戻ったとの事だった。

 ひさしぶりにとタバコの吸える場所を中庭に見つけて火をつける。いつのまにか明るくなった中庭の運動場のベンチに腰を下ろして考えてみる。

どうしてなんだろう。今のいままで生きて来て、一体何がどうやら解らなくなってしまって。朝日に照らされて濡れる、浮かぶ雲さえ泣いているように見えた。

2010年8月10日火曜日

独白。13

 病室は看護室から目の届く一階の一室。入院の初期、不安定になりやすい新人のための特等席だ。点滴や検査の類いの必要な患者は近くに居た方が看護師達にも都合が良いのだろう。
「○○さん。食事の時間にほかの患者さんに紹介しますので一言ご挨拶お願いしますね」
食事か。しばらく何も口にしていないが食欲はない。食事と聞いただけで何か酸っぱいものが込み上げてきそうだ。
「まだ食べられないかもしれないけど、少しでも、ね」
K野さんが点滴のための消毒ガーゼを当てながらそう言う。こんな状態であるにも関わらず男というのはしょうがない。本当ならこうして会話をしているのも億劫なのに「大丈夫です」などと言ってのける。これがうちの母親ほどの年齢のほかの看護師か、あるいは男性職員であったなら口もきかずに「具合が悪い」とたぬき寝入りでもしていただろう。
「一週間は、一日二回の点滴をしますね。あと、尿検査と血液検査、腹部エコーと脳波測定。落ち着いて来たら院内施設の説明と案内も」
やれやれ、である。またあの頭のチカチカするやつとかやらされるのかと思い、ここに来る前にもやったはずだと説明したのだが話に聞くと前の病院では、まるで検査にならなかったのだという。離脱症状で狂人と化した僕は、検査中終止暴れ続け結局手に負えずこうして此処に移送されたのだった。何となくだが憶えている。ああ、あの検査は失敗に終わったのか。

 あらためて病室を見渡すとそこには僕以外に二人の患者がいる。六人部屋に四つのベッドが置かれたその部屋。僕の隣のベッドには生きているのか寝たきりでまるで動かない老人。足を向けた向かいには、何やらしきりに動き回る落ち着きの無い男。まあ良い、どうでも。運ばれて来て最初は離脱症状により酷い状態の者も多いらしく、たいがいは例の保護室に入れられるのだという。もうあんな所に押し込められるのは勘弁して欲しい、それに比べてれば随分ましだ。だいたい僕は二、三日入院し養生したら折りを見て退院するつもりでいるのだ。三ヶ月も居座るつもりなど毛頭ない。
 しばらくして母親が戻って来た。親父の姿がない。どうしたのかと聞くと車で寝ているのだという。二人ともこのところ夜もろくに眠れていなかったのだろう、母親は憔悴しきった顔をしていた。
「売店があったから必要なもの買いに行くけど何か欲しいものある」
慌ててこっちに来てしまったのだろう、何も持たずに出て来てしまったらしい。
「コーヒーが飲みたい」
「はいはい、コーヒーね」
母親はすれ違う看護師や患者たちにいちいち頭を下げながら廊下を売店へと歩いていった。その背中が随分と小さく見えた。

 両親とも昔の男女にしては大柄な方だ。二人は高校の同級生で父はバレーボール、母はバスケットボールの選手で、二人とも揃ってインターハイの全国大会へ行ったのだという。昔、選手団の集合写真を自慢げに見せられた記憶がある。息子の僕が言うのも変だが、若く美しかった頃の二人がそこには映っていた。その後二人は一緒になり僕が生まれた。両親が結婚してまもなくの頃、母は一度流産しており二十六歳の時にようやく授かった子だったという。
 僕は逆子で帝王切開の後、斜頸で生まれて来た。首が右に大きく曲がったまま胎内で育ってしまったのだ。事あるごとに、「生まれながらにしての親不孝者だ」などと冗談まじりに言われたものである。両親は生まれて間もない僕のために県立病院に通い曲がった首を矯正し治療を受けさせてくれた。当時はろくな治療もせずそのまま放置されたままの子供も多かったらしい。そういえば、小学校のころ首の曲がった子供が何人かいて、ある時そのなかのある子のことを馬鹿にしたようなこと言っていじめたことがある。そんな僕を母は赤ん坊のころの写真を見せて酷く叱った。そんな写真と一緒に実家の古い箪笥の引き出しには何通かの手紙と父の古い手帳があり、それらは僕のへその緒とともに大切に仕舞ってある。母の友人からと思しき手紙には、流産の件、その後の懐妊の件そして出産のお祝いの言葉が綴られ、父の手帳には僕の生まれた日のページにこんな言葉が記してあった。

「新しい一日、新しい命と。これからは家族三人で」

そうなのだ、僕は望まれて生まれてきた命だったのだ。

 小さくなってしまった母親の背中を見ながらそんなことを思ってしまう。つくづくと思ってしまう。まだ小さな僕を腕に抱き、あのころのふたりはどんな未来を想い描いていたのだろうか。どんな夢を語り合ったのだろうか。

嗚呼、そして僕は今、なんという親不孝な息子なのだろうか。

2010年7月31日土曜日

独白。12

 高校の頃、僕はろくな活動もしていない「フォークソング同好会」なるものに所属していた。エレキギターは禁止という訳の解らない決まり事のため名前ばかりの同好会だった。きもちが悪い、そもそもフォークソングなんて糞喰らえなのだ。放課後はアルバイトかバンドの練習、それでもなければ知り合いの洋服屋に入り浸り、店番をする代わりに置いてあるレコードを聴かせてもらう。とかそんなくだらない日々を過ごしていた。
 ある日、洋服屋の先輩とその友人にとある場所へと連れて行かれた。店番の駄賃代わりに飯でもどうかと誘われたのだ。先輩の車で連れられて行ったのは、高校生のガキなんかが到底入る事のない「カフェ」だった。ウーズレーが停めてあるその店に入る。
「Oさん、キーマカレー三つね。あとコロナとクアーズ」
奥でピアノを弾いていた「Oさん」と呼ばれる店のマスターらしき男が僕に向かって言う。
「おめぇは何飲むんだよ」
高校生とはいえども一応は客である。そんな言い方ってあるだろうか。
真っ赤なレーヨンのシャツ、タイトな黒の皮パンにサスペンダー。グリスの効いたまるでとさかの様なリーゼント。
ハイライトの青い煙を旨そうに吐き出したあとでその男は言った。
「ビールなんか飲んでんじゃねぇよ、ごっついの行け。ごっついの」
注文などおかまいなしにグラスを三つ用意すると、綺麗に削られた大きな氷をそれぞれに一つずつ用意する。まるで何かの写真で見た雪山の様だ。するとその三つのグラスに「ワイルドターキー」を注いでゆく。おいおい、まだ夕方だぞ。
からかわれているのかとも思ったが冗談ではないらしい。
「勘弁して下さいよ、Oさん」などと言いながらも先輩二人はさっき頼んだビールをチェイサー代わりにして飲んでいる。
店を見渡すと大量のレコードとCDが目に入った。レコードの棚でも目立つ所にサム・クックとマーヴィン・ゲイのレコードが飾ってある。
そうか、店の名前でピンと来た。「WATTSTAX」ふぅん、ソウルが好きなのか。頼んだカレーを作る様子のないOさんにそれとなく聞いてみる。
「ワッツタックスって昔のソウルのライブでしたっけ。ウッドストックのR&B版みたいな」
すると、さっきまで渋い顔していたOさんが嬉しそうな顔をして言う。
「おめぇ、解ってんじゃねぇか。『アイアムサムバディー』だ」。

「WATTSTAX」とは「Stax」レーベルのアーティストがほぼ総出演した音楽フェスで1972年8月20日、ロスのコロシアムで約10万人の聴衆を集め行われた大イベントだ。

店の看板にはピアノを弾くフォレンス・シルバーが描かれている。その下に左から、「1999 MARLEY WAITS」の文字が入っている。
どういう意味なのかと聞くと、照れ臭そうにこう答えてくれた。

「意味なんて無ぇよ、プリンスとボブ・マーリーとトム・ウェイツだ」。

看板を見て店に入りサム・クックとマーヴィン・ゲイが出迎える。店内に流れる曲を聞いていれば、そこがどういう店なのか知ってる人にだけ解る。解る奴にだけ解るようになっているという「メッセージ」なのだという。

 その後、Oさんと親しくなった僕は店でバイトをさせてもらう事になるのだが。多分、僕の 人生に於いて最も影響を受けた人物と場所のなかのひとつなのだ。色々と教えてもらった。Oさんに、そこに集まる様々な人々に。音楽、アルコール、女。
高校生だった僕はあの場所で生き、育ち、大人になって行った。

今日、6月15日は「Oさん」の命日だ。
店を閉めてからしばらくした頃、くも膜下出血で倒れた。多分、アルコールのせいだろう。
なんとか復活し、新たに店を始めるまでに回復したのだが、それでも彼は飲み続けた。
二度目に倒れた時はもう助からなかった。
どうしてなんだろう。死ぬまで飲み続ける理由なんかあったのだろうか。

サム・クックやマーヴィン・ゲイ、オーティス・レディング。テディー・ペンターグラスやカーティス・メイフィールド。

そうか、そうだったのだろうか。
天国にいるソウルマンたちには逢えたのだろうか。
今頃、ピアノでも弾いて一緒に歌っているのだろうか。

2010年7月24日土曜日

独白。11

 S病院に到着すると外来ではなく直接アルコール病棟のナースセンターへと案内された。そこには担当となる医者と看護士がすでに待ち構えていた。担当の医師は見るからに高齢で「どれくらい飲んだの」「具合はどうなの」と、間の抜けた質問をいくつかしたあと看護士達になにか指示をして両親と供にどこかへ行ってしまった。
「○○さんを担当させて頂くK野です。今からいくつか質問と治療の説明を少しさせて頂きますね」。
かんたんな病院の説明と入院時の注意を聞く。起床時間だの風呂の時間だことの今はとりあえず知らなくても良い事ばかりを続けてくる。入院や治療の目的、治療のプログラム。綴じられたいくつかの資料を渡され説明を受ける。決まり事なのだろうが、此処に連れられて来た時点ですでに相当弱っているので悠長に説明など聞いている余裕などは無い。そんなことよりも一刻も早く横になりたい。
「血液の検査をしますので、採血しますね」
そう言って僕の腕をまくり消毒をする。漂う消毒用のアルコールの匂いが鼻を突く。
もうそれだけで気持ちが悪くなり、なにか酸っぱいものが胸からせり上がってくる。
僕の腕にゴム管を巻き注射器の針を立ようと血管の場所を確かめているK野看護士に一瞬見とれてしまう。これがよくよく見ると色白で利発そうなきれいな女性なのだ。
平静を身に纏いその様子を眺めている僕を一瞬で引き戻すその声。
「ずいぶん暴れたみたいですねぇ、お話伺いましたよ。あ、左腕の方も見せてください」。
残念な事に命からがらでここに来るまでに二件の病院を渡り歩いてきたので髪はぼさぼさ髭は伸び放題。その上に見るに耐えない小汚い格好をしているのだ。
こんな所ではないもっとまともな形でこういう女性に出会えないものなのだろうか。
「○○さん。前の病院の検査の結果がひどいですね。死ななくて良かったですよ」
看護室のコンピューターの前で画面を眺めていた白髪まじりの男が話しかけてくる。どうやらここの看護長らしい。
「離脱症状があるみたいですね。今日はお薬を飲んでもらって、点滴をしますので取り敢えずよく休んで下さい」。
看護室には今の男ともう一人の男性看護士、それに3、4名の女性看護士。K堂の雰囲気とは違い仕事ぶりも明るく活気があるのが解る。なかには「だいじょ~ぶ~?まぁ、ゆっくりしてってね~あぁ良かったぁ若い人でぇ」などとまるで緊張感のない茶髪の看護士までいる。コスプレのキャバクラか、ここは。大丈夫なのだろうか。

 採血を終え一通りの説明を受けたあと、入院治療計画書を渡された。一緒に添えられた診断書には「三ヶ月程度の入院治療が必要」の文字が見える。
「三ヶ月か、長いな」そう思いながら焦点のまったく定まらない目で内容を読んでいると今度はボールペンを渡された。同意書の氏名の欄にサインを求められた。それに名前を書こうとするのだが震える手のせいで思う様にいかない。なんとか書き終えたそれを見る。まるでミミズかナメクジの這ったあと様な文字だ。
その情けなく並ぶ文字とガラスに映った自分の姿を交互に見つめているとなんだか急に惨めになってきた。
それを察したのかK野看護士が取り繕う様に言う。
「書きにくいですよね、ごめんなさい。だいじょうぶですよ○○さん。体がだいぶ辛そうですしねしょうがないですよね」。

嗚呼、こともあろうに看護士にではあるのだが
若くてきれいな年下の女性にこんな事で慰められるなんて。

まったく、惨めだ。
もういいから。お願いだからさっさと休ませてくれ。

2010年7月12日月曜日

独白。10

 ひさしぶりに親父の運転する車の後部座席に座りながら考える。いつ以来なんだろうか。車はK市へと向かっている。なんとか両親とK堂の医者を説得したのだ。ただ、任意での他院への入院を条件としてなのだが。任意入院とは措置入院(保護入院)とは違い強制ではない。自分の意志で入院しますという事だ。
僕が一晩中抵抗し、両親を説得したのに医者も根負けしたのかK市にあるS病院のアルコール依存症専門病棟に紹介状を書いてくれたのだ。


 子供の頃はよく家族四人で車で出掛けた。助手席に母、その後部座席にひとつ年下の弟、その隣に僕。お決まりの指定席だ。「男はいい車に乗るものだ」と言い、そんな余裕などないくせに親父はいつも高級車に乗りたがった。

トヨタクラウンロイヤルサルーン。当然ながら中古車だった。

だけれど僕も親父も弟もみんなそれを気に入っていた。座席は上等なソファーみたいに柔らかく深く、オートマ、クーラーにステレオにパワーウインドウ。おまけに冷蔵庫まで付いている。当時、団地住まいだった我が家。家中のどこよりも快適な空間だった。もともと、お金持ちの人のために自宅やホテルの一室に居るのと変わらない居住空間をという発想の車なのに、クーラーもソファーもない家に暮らす貧乏人が乗るなんて考えてみるとなんとも滑稽だ。

それでも家族はしあわせだった。休日には母が弁当をつくり父の運転で出掛けるのだ。車の冷蔵庫には冷たい飲み物も冷えている。それでよかったのだ。

 僕が中学に上がる年、両親は商売をはじめた。親戚の経営するホテルの一角で宿泊客や観光客相手のホテルラウンジということだが、派手なコンパニオン付き宴会客の二次会会場といったところだ。それとも地元の客にセット料金の安い酒を飲ませる要はカラオケスナックだ。
夜、家におとなが居なくなった我が家が「たまり場」になるのにそれほど時間は掛からなかった。もう、やりたい放題である。
家族のあいだにはだんだんと距離が増えていった。部活を終えて帰宅する頃には両親とも仕事に出ている。帰ってくるのは真夜中で、当然のように朝も顔を合わせることが少なくなっていった。
 何年かすると親父は新車に乗るようになった。やっぱりトヨタクラウン。マジェスタとかなんとかだったか忘れたが、それはもうしあわせな家族の象徴ではなく、田舎の成金の腕に輝く趣味の悪い金の時計かブレスレッドみたいなものだった。
その頃からだろうか、友人たちと集まっては酒を飲む様になったのは。放課後は不真面目な野球部員。彼女は居てもセックスするほどの勇気もない田舎の中学生たちは、ブルーハーツを聞きながら部屋に飾った酒瓶の種類の多さとか自分の吸ってるタバコがいかに強いかということを競い合ったり、盗んできたバイクをこそこそと乗り回すくらいしかやることが無いのだ。

 車は暖房が効いていてあたたかい。会話も無い中、真冬の景色を進んで行く。親父はあいかわらず今でもクラウンに乗っている。店をやめてから何年かが過ぎてそれは新車ではなくなったが、どこで見つけてきたのだろう、中古のクラウンだ。 

2010年7月9日金曜日

独白。9

『アルコール依存症診断基準』(アルコール依存症の定義)

「アルコールが切れると出現する症状」

・睡眠障害、不眠、悪夢、覚醒
・ふるえ(手指、躯幹)
・夜間の発汗、心悸亢進、不整脈
・情緒不安定、不安、希死念慮
・てんかん発作(断酒後48時間以内)
・せん妄状態
・意識混濁   
・幻視
・幻聴
・アルコール幻覚症(主に幻聴が持続する)


「精神神経症状、離脱症状」

従来は禁断症状と呼ばれていた。しかし、完全に酒を断たなくても、血中アルコール濃度の低下にともなって生じる症状なので、この用語が使用されるようになった。薬理学では退薬症候とも呼ばれる。(飲酒を中断させて6~96時間を経た時点で次のa~fの6つのうち、1つ以上の症状が認められる場合)

a)睡眠障害:飲酒しないと不穏、苦悶をともなった不眠を生じ、夜間しばしば覚醒し、悪夢をともない、熟睡感がない。

b)振戦:手指、躯幹の振戦を認める。なおその振戦は、もちろん諸種の神経疾患によるものと鑑別を必要とする.

c)自律神経障害:特に夜間、一度寝入ってから発作的な発汗があり、しばしば覚醒する。時に悪寒戦慄をともなう。持続的な心悸亢進を訴え、頻脈または不整脈を認める。

d)情緒障害:情緒過敏状態、高度の不安、希死念慮、支配観念としての強迫的飲酒欲求がある。

e)アルコール離脱けいれん発作:飲酒を突然中断した後(多くは、中断後48時間以内に)強直性-間代性のけいれん発作の臨床的および脳波的発作症状をおこした場合をいう。この場合、一次性てんかんおよびその他の意識障害を伴う発作性疾患を除外する。

f)離脱せん妄状態:飲酒を突然中断した後、意識混濁が生じ、無数の小動物視などの幻視、複数の会話調などの幻聴をともなうせん妄状態ないし、これに準じた状態になった場合をいう。


『飲酒行動の異常』(問題飲酒)

・負の強化への抵抗
・強迫的飲酒欲求による飲酒抑制困難
・連続飲酒発作の出現
・山型飲酒サイクル (飲酒→酩酊→入眠→覚醒→飲酒→酩酊→入眠)
・酒酔い運転、酒気帯び運転の反復
・仕事中の酩酊
・隠れ飲み
・酔うとからむ
・酔うと大暴れする
・毎日純アルコール150ml(清酒換算約5合)以上飲酒する
・短時間での大量飲酒
・テレホニスムス(不適当な時間・場所・距離の電話等)
・真性ディプソマニア(喝酒症)
・その他の飲酒が関与する行動異常


アルコール依存徴候を示す者は、長期経過の結果、以下のような障害を生ずる場合がある。


『アルコール関連精神神経的障害』

・アルコール精神病
・アルコール性てんかん様発作
・アルコール性幻覚症・振戦せん妄
・アルコール性痴呆
・アルコール性コルサコフ精神病
・アルコール性嫉妬妄想
・その他のアルコール精神病


『アルコール関連社会的障害』

・飲酒に関連した社会的地位の低下
・飲酒に関連した離婚やそのおそれ
・飲酒に関連した失職やそのおそれ
・飲酒を上司、配偶者、家族による非難
・飲酒、酩酊による警察保護
・飲酒、酩酊による保護以外の警察問題
・飲酒による欠勤
・飲酒に起因する度重なる転職
・その他飲酒による社会的障害


『アルコール関連身体障害』

「直接表現」
・アルコール性肝炎
・アルコール性小脳変性
・大脳萎縮(アルコール性痴呆)
・アルコール性弱視
・肝硬変
・脂肪肝

「間接表現」
・胃・十二指腸潰瘍
・心筋障害
・ペラグラ
・マロリー・ワイス症候群
・食道静脈瘤
・貧血
・脚気
・多発性神経炎
・膵炎
・血液凝固障害
・筋炎
・ウェルニッケ・コルサコフ症候群(糖尿代謝異常、陰萎など)
・脳炎(ニコチン酸欠乏症)
・その他アルコール起因性が疑われる高血圧、糖代謝異常、陰萎など。


      
       『久里浜式アルコールスクリーニングテスト』

「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」という質問が14項目ある。

①酒が原因で、大切な人(家族や友人)との人間関係にひびがはいったことがある。 ある3.7点  ない-1.1点

②せめて今日だけは酒を飲まないと思っても、つい飲んでしまうことが多い。 当てはまる3.2点  あてはまらないー1.1点

③周囲の人(家族、友人、上司など)大酒飲みと非難されたことがある。
ある2.3点  ない-0.8点

④酒量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう。 
当てはまる2.2点  あてはまらないー0.7点

⑤酒を飲んだ翌朝に、前夜のことをところどころ思い出せないことがしばしばある。 当てはまる2.1点 あてはまらない0.7点

⑥休日には、ほとんどいつも朝かr酒を飲む。  
あてはまる1.7点 あてはまらない0.4点

⑦二日酔いで仕事を休んだり、大事な約束を守らなかったりしたことがときどきある。 あてはまる1.5点  あてはまらないー0.5点

⑧糖尿病、肝臓病、または心臓病と診断されたり、その治療を受けたことがある。 ある1.2点  ないー0.2点

⑨酒がきれたときに、汗が出たり、手が震えたり、いらいらして不眠など苦しむことがある  ある0.8点  ない0.2点

⑩商売や仕事上の必要で飲む。 
よくある0.7点 時々ある0点 めったにない-0.2点

⑪酒を飲まないと寝付けないことが多い。 
あてはまる0.7点 あてはまらないー0.1点

⑫殆ど毎日3合以上の晩酌(ウイスキーなら1/4本以上、ビールなら大瓶3本以上)をしている あてはまる0.6点 あてはまらないー0.1点

⑬酒の上の失敗で警察のやっかいになったことがある ある0.5点 ない0点

⑭酔うといつも怒りっぽくなる あてはまる0.1点 あてはまらない0点

 以上のテストで合計点が0点以上が問題飲酒者、2.0点以上が重篤問題飲酒者である。2.0点以上の人はアルコール依存症である可能性が高いので、早いうちに精神科医に相談したほうがよいとされる。

これは、卵アレルギーを持っている人が一口でも卵を食べてはいけないのと同じ事なのだという。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/sekiuchi/js/contents/kast.html

2010年6月29日火曜日

独白。8

 冷たく磨かれた床と壁を青白い安っぽい蛍光灯の明かりが照らす。重く低い天井の影になった部分は絶望的な闇を蓄えている。鼻を突く消毒液の匂いと、濡れた纏わり付くような空気。時折聞こえてくる獣のようなうめき声や突然の物音。

「ですから、○○さんの場合、保護入院という形ですので本人の意思では退院できないんですよ」
夜勤の看護士はさっきから同じ答えを繰り返すばかりだ。
「ご両親と主治医の了解がなければ無理です」そんな馬鹿な、ここは日本だぞ、そんなのありか。後々知るのだが、「保護入院」というのは、本人あるいは周辺に対し、危害を与えるような重篤な症状のある患者を本人の意思なしで拘束し、入院、保護出来る云々...という事らしい。そして、僕がいるところは「保護室」。
ベッドは無く、うすっぺらな布団と毛布。レバーの無い蛇口と便器があるだけの部屋は檻で囲まれている。監視カメラがあり、スピーカーとマイクでナース室とつながっている。用を足したら、看護士に申告し外部操作で水を出したり流す仕組みだ。部屋のドアには取っ手は無く、外からしか開けられない様になっている。

これは、本当にまずい事になってる。

 実は、精神病院に足を踏み入れたのは今回がはじめてではなかった。二十歳の頃、僕は東京で暮らしていた、その当時付き合っていた彼女が、かなりぶっ壊れた子で大変な思いをしたことがある。
その時、生まれてはじめて精神病院に行ったのだが、身元保証人、つまり保護する側であったのだ。
(この話、そうとうキてるので...機会があればそのうち書きたいと思う)
まさか、その自分が精神病院の世話になるとは思ってもみなかった。
 
 ここに一度入れられてしまうとどうなるか。過去に知っている僕は、どうにかしてここから出なくてはと考えを巡らせる。が、薬が効いているのか離脱症状なのかまったく頭が働かない。かといって、このまま入院なんて事はなんとしてでも避けなければならないのだ。とにかく、両親を呼んでもらえるよう医者か看護士に掛け合わなければ、親を説得するのだ。
 そんなことを考えていると、保護室のスピーカーから看護士の声がした。「どうですか、少し落ち着いたみたいですね。点滴をしますのでいまから伺いますね」そう告げ、しばらくしてから三人の看護士が入ってくる、三人掛かりとは随分厳重だな。「運ばれて来たときは大騒ぎだったんですよ。○○さん大きいから大変でしたよ」などと言われても、まったく憶えていない。
看護士の話だとこうだ、市立病院での検査中に突然暴れ出し、手に負えない状態になりK堂病院に連絡が来た。
「男性一名、アルコールによる離脱症状。こちらでは手に負えません、移送しますので保護よろしくお願いします」なんでも、さっきまでいたような一般の病院では患者に身の危険がある場合でも、拘束したりそれらの類いの処置ができないそうだ。そこで、精神病院の出番というわけだ。そういえば、そうだった。東京のときも一度救急車で救急外来に運ばれたあと、精神病院のスタッフがあとからやってきて、彼女を拘束具でぐるぐる巻きにして運んで行ったっけ。
 看護士が僕の右腕、肘のあたりにゴム管を巻き付ける。手首の甲骨張った中から血管を探し当て細い針を突き刺す。
「もう、点滴を打つ所がないのでちょっと痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね」何度も点滴の針を引きちぎり、両腕の肘の裏の血管は傷だらけで赤むらさき色に腫れている、手の甲にまで針を打つなんて、まるでジャンキーみたいだ。
「すみません。うちの両親は」と話を切り出してみる。
「いま、別室で先生と話していらっしゃいますが」
どうやら、これからどうするのかを話し合っているようだ。
「呼んでもらうことはできますか、ちょっと話したいんですが」。

「お話が終わりましたら、そちらのインターフォンで呼んで下さい。ドアを開けに来ますから」。
看護士に連れられて母がやってきた。部屋の様子をひとしきり見回し、その異様さにため息をつき口をひらく。
「まったく、こんなところに入れられちまって。情けない」恥に塗れたような顔を向けてくる。「親父は?」どうしたのだろう、一緒に来ているはずだが。
「顔も見たくないって、あんた一体どうしちまったのさ」
返す言葉は見つからない。自分でもどうしたのか、どうなっちまったのかよく解ってないのである。だが、ここから何としてでも出してもらわなければならない。
「K堂はまずいんじゃない、もう大丈夫だからさ帰ろうよ」
そうは言われても、さっきまでの自分の息子の狂いっぷりを見ていたのである。それに応じるはずもなく、「とにかく、今夜はここで診てもらうから。もう遅いし、ここに泊まっていきなさい」。そう話す母に、何とか思いとどまってもらおうと食い下がる。徐々に言葉は熱を帯び、コントロールを失ってゆく。もう、こうなると訳がわからない。
 酒癖が悪いといわれる人が多くいるが、僕は決してそういうタイプではない。
よくあるような「酒買ってこんかい」と喚き散らし、女房の着物を質に入れてでも飲む。「おかあちゃん、今日のごはんは?」「おとうちゃんが全部呑んじまったよ」と、絵に描いたようなアル中。そういうタイプでもない。
飲んでいるときはご機嫌である。酒が切れる、つまり離脱症状の事なのだが、酔って暴れるよりもこっちの方が厄介なのだ。倒れてからアルコールを口にしていない僕は、知らずのうちにそういう状態にあったのだ。
「お母さん大丈夫ですか、落ち着いて下さい!」保護室に入ってくるなり僕を数人掛かりで押さえつけ、あっという間にベルトで手足を縛る。慣れたもので、見事である。

自分の目の前で、取り押さえられ、縛り上げられる息子を見せられるとは一体どんな気持ちなのだろうか。そのことを思うとなんとも情けない。

僕はとんでもない大バカ息子だ。

2010年6月19日土曜日

独白。7

 離脱症状の始まっていた僕は、時間や空間、現実と妄想の区別がつかなくなっていた。あらゆる感覚や思考、あたまの中のいろんな部分とからだとが、ばらばらになっているようだ。考えはまとまらず、整合性を失い自分が正気を保っているのかさえも解らなくなってきた。

 白いつるっとした機械の上に寝かされた。僕を寝かせた部分は、白い半円筒の中へと吸い込まれて行く。妙に現実離れした無機質な空間だ。きっと、これは脱出用のカプセルか何かだ。母船はもう沈みそうで、僕はひとり宇宙へと放り出されるのだ。部屋の外で何か機械を操作している男の姿が見えた。僕はそれを拒むのだが、男は大丈夫だという素振りとともに操作を続ける。筒の中のスピーカーから男の声がする。
「大丈夫です。しばらく動かないで、じっとしていて下さい」
男が扉を閉めスイッチをいれる。するとカプセルは低く鈍い音と共に動き出し宇宙へと射出された。僕はひとり母船を離れ静かに宇宙を漂い始める。僕は暴れもがくが、もうその声は男にも届かない。

 「CTのつぎは脳波測定です。そのあと、エコーもとっちゃいますね」。
この日、いくつかの検査があったのだ。「じゃあ、この椅子に座って下さい」椅子に座ると、あたまになにか、冷たいジェルのようなものを塗られた。そこに何十本もの電極のつながったコードを貼付けて行く。
まるで、何かの実験みたいだ。さらに、レンズの内側にLED灯のついたサングラスのようなものを付けさせられた。赤、黄、青の光を照射して、その刺激に対する脳の反応を調べる仕組みらしい。「では、はじめますね。目を閉じて下さい」。

チチッチチといった音に合わせ、まぶたのうらに鮮やかな光が明滅する。点滅のスピードや色を変え、断続的に脳に刺激をあたえる。
「ヤバいこれ、キマってたら楽しそうだな」なんて考えているうちに、さっきの妄想の続きへと引きずり込まれて行ってしまう。

 しばらく彷徨い、どこかへ不時着したのだろうか。カプセルは何者かに鹵獲され、僕は身柄を拘束されている。ベッドに寝かされた僕の周りで見た事のない姿をした人たちが何やら機械を操作している。宇宙人だろうか。信号の明滅のパターンや強さを変え、鮮やかな色彩と光の映像を脳裏に映し出す。その脳波を読み取り、コミュニケーションを取ろうとしているようだ。しかし、上手く行かない。彼らは機械の出力と周波数をどんどん上げて行く。「やめろ!やめてくれ!」

あまりの信号の強烈さに僕の意識は混乱してきた。
ヤバい、さっきから検査を遊園地のアトラクションか何かと勘違いしはじめている。

キマってなくても、ヤバかったのである。

「○○さん大丈夫ですか?だいぶ暴れたみたいですけど、どうですか気分は」
あたまの芯がずんと重たくぼっとしている。なんだかひんやりと冷たく、ずいぶんと薄暗いところだ。診察室だろうか、先ほどまでとは明らかに違う空気が漂っている。「すいません。あの、ここは、どこですか?」恐る恐る聞いてみると、「憶えてないんですか、市立病院から移送されて来たんですよ」と看護士は言う。そうだ、さっきまで、僕は検査を受けていたはずだ。

「K堂病院です。市立病院で検査中に錯乱状態に陥りこちらへ搬送されて来ました」。

K堂だと!?
僕は耳を疑った。

 K堂病院とは、地元では昔から有名な精神病院だ。「き○がい病院」として泣く子も黙るK堂病院。地元では、「黄色い救急車の病院に迎えに来てもらうよ!」とか「K堂に一度診てもらえ、このばか!」などと揶揄に出てくるような、違った意味でも有名な精神病院なのだ。

まずい。
これは大変な事になってしまった。

この狭い田舎街で精神病院に入院するというのは、とにかくまずいのだ。
「あいつ最近見かけないね」「K堂行っちまったらしいよ」「やっぱり、ついにぶっ壊れちまったか」なんて会話をよく耳にする。
このあたりでは、「精神病院」イコール「き○がい」なのである。酷い偏見かもしれないが、実際そんなものなのだ。
 僕の友人で、市立の病院にでも行けばいいものを、あろうことかK堂病院を受診してしまった子がいた。彼女は地元の出身ではなかったので、当然そんな事情など知らずにK堂に通ってしまったのだ。ただ不眠症に悩み、薬を処方してもらうためだけの通院だったにもかかわらずだ。

噂は広まり、あっという間に彼女は「き○がい」扱いだ。

気の毒だがしょうがない。
田舎では精神病院というところは、そんな場所なのだ。
心療内科に通うのですら躊躇してしまうような、そんな街なのだ。

だから、まずい。
いよいよ、僕はき○がいの仲間入りなのだろうか。

2010年6月15日火曜日

独白。6

 さっきからずっと、誰かのうめき声の様なものが聞こえている。低く唸る様なその声は、地の底から沸き上がる様に聞こえているかと思えば、急に耳元まで近付き僕のベッドの周りをぐるぐると回り出す。うるさいので何とかしてくれと、付き添ってくれている母に言うが、気にせずに眠れと言うばかりだ。
そうか、きっと病室の誰かの具合が良くないのだろう。それにしても、酷い声だ。
気を紛らわそうと窓の外に目をやる。外は良く晴れていて、病室の向かいにある山の稜線と空の青がコントラストになっていて美しい。山のはりつめた、鼻の奥を突き抜ける様な、真冬独特の空気を思い浮かべさせる。
 しばらく眺めていると、山の麓から数人の猟銃を抱えた男が沢を挟んで登って行くのが見えた。男たちの進む先に目をやると、数匹の茶色い生き物が見える。鹿だ。その群れからはぐれた鹿を、男たちが追う。親子の様に見えるその鹿を仕留めようと、山の裾からさらに数人のハンターが登って行くのが見える。僕は少し興奮して、付き添っている母に言った。
「見てよ、鹿の親子が撃たれちゃう。かわいそうだ」
母は不思議そうな顔をして窓の先を見たあと、僕の顔を見て言う。
「あんたは心配しなくていいから。少し寝てなさい」。
そう言うと、窓のカーテンを引いた。

 付き添っている母がマスクをしている。マスクから覗く目のまわりが、歌舞伎の隈取りの様に赤い。どうしたのだろうと、思っているとそこに親父が入ってきた。見ると、親父もマスクを付け、目の周りを隈取りの様に赤くしている。よくよく気付いてみると、僕以外の看護士や他の患者、みな同じ様にマスクを掛け隈取りをしている。
僕は気味が悪くなり視線を天井に移した。みんなしてどうしたのだろうか、何か悪い病気でも流行り出したのだろうか。
 そんな事に考えをめぐらせ、しばらく天井を眺めていると、今度は天井のパネルの模様が気になりだした。
白い天井の、一つひとつが水にもどす前の乾燥わかめのような黒い模様。
天井中に、一見ばらばらではあるが、ある規則にそって整然と並んでいる模様。
じっと、よく見るとそれは動いている。ゆっくりとだが、水にもどりゆくように。
何かの映像で見た、顕微鏡の中のバクテリアか原始的な生物のように。
近付き、お互いはひとつになり、大きくなる。それを何度か重ね、ある程度の大きさになる。すると、自らの重さに耐えられなくなるのだろう、天井から落ちてくる。ちょうど、ゆっくりと大きくなって地面に墜ち、飛び散る雨垂れのようだ。 

 飛び散った飛沫はゆっくりと移動し、ふたたび天井で集まり、またそれを繰り返す。なんだか、この世界の理を、縮図にして見せてくれているようだ。
 
 どれくらい眺めていただろうか、ふと、さっきの鹿の事が気になり、身を乗り出してカーテンを開け、向いの山に目を凝らす。するとどうだろう、さっきまで、数人であったハンターはいつの間にか何十人にもなり、群れとなって鹿の親子のいる沢を取り囲み、追い込み、確実に登ってゆく。
反対側からは、自衛隊だろうか、緑の迷彩色の集団が登って行く。
「何の騒ぎだろう。演習か何かの訓練なのかな」などと思いながら眺めていると、次の瞬間。
「ズドン」
なんと、その緑の迷彩の部隊が反対側の沢に居るハンターたちに向け発砲し始めた。

僕は叫ぶ。

「大変だ、密猟者かな」「見たでしょ、今、撃ったよね」「戦争?」。

母は、困った様な顔をして僕を見ていた。

2010年6月14日月曜日

独白。5

 まだ若い担当医に言われるがままに、楽になるのならばとそれに同意した。
今までの点滴に加え、新たに薬が追加された。
どうやら、効果はあったようで身体が軽く楽になってゆく。
 しかし、投薬されてからしばらくすると、何か強烈な腹部の痛みと便意が襲って来た。ナースコールを押すが、急な便意に我慢出来ず、自力でトイレへ向かおうとベッドから立ち上がる。そこに看護士がようやくやって来た。
「何やってるんですか!」何をって、トイレに行きたいのだ。
「大丈夫ですか!」
もう一人、ナースコールに駆け付けた若い看護士は「キャー!」と悲鳴を上げる。「いちいち大袈裟なんだよ」と思いながらトイレへ向かおうとするが、尻のあたりに違和感がある。いつの間にか着替えさせられていた浴衣の様な院内着を見ると血に塗れている。
「あれっ」と思い尻の部分をめくってみる。
さっきまで感じていたのは便意だったが、そうではなかったらしい。
汚い話だが、肛門から血液の様な液体が一筋の噴水のように出ている。さっき、叫び声を上げた看護士を見るとその飛沫で看護服を汚していた。
「何だこれは」と思っていると、担当のまだ若い医者が入ってくるなり小声で言うのが聞こえた。
「やっぱり、だめだったか」。
僕は耳を疑った。
「なんだと!?やっぱりってどういう事だよ!?」
と、叫びたいのだが急激に血の気が引いて声にならない。
「ちょっと、まだ無理みたいでしたね。お薬、変えますね」
などとと冷静な顔つきで続ける。

ふざけるな。人体実験かよ、新薬とやらの。
おかげで病室内はまたも大騒ぎだ。

 いつの間にか眠っていたらしい。気がつくと、母がとなりで座っている。
「あんた、駄目じゃないの。何やってんの」
ああ、さっきの事か。
「ちょっと、居ない間に。まったく」。
反論しようかとも思ったが、さっきの醜態を思い出したくもないので止めておく。

「あとで、CTとか脳波とか詳しい検査をするからって、先生が言ってたわよ」。

検査?

まずい。
僕はキ○ガイか何かと疑われているのだろうか。

2010年6月8日火曜日

独白。4

 ここに運ばれてからどれくらい経ったのだろうか。どれくらい眠らされていたのだろうか。運ばれてきたのは夜だ。昨日の事なのか、一昨日の事なのか。
まったく良くなる気がしない気分の悪さと相変わらず重たくべっとりとした意識の中で考える。昼間の病院は夜とは全く別の雰囲気だった。夜の吸い込まれそうになる静けさとは正反対の騒々しさ。

「いったん、着替えとか取りに家に帰るから、ちゃんと先生の言う事聞いてなさいよ」そんな事を言いながら母は親父と一緒に出て行った。まったく、三十過ぎになっても子供扱いだ。そんなものなんだろうか、母親とは。
二人とも僕の容態が落ち着くまで、夜中じゅう付き添ってくれたのだろう、随分と疲れ眠たそうな顔をしていた。
 あらためて見ると点滴が二本、からだに突き刺さっている。薄い黄色の液体と、透明などろっとした液体。時より看護士が来て、腕時計を見ながら何やらチェックしていく。さっき母と話したのだが、ここはT市の市立病院で、今朝、救急からこの一般病棟に移されたとの話だった。六人部屋の一番奥の窓際のベッドから、窓の外を見る。街とは裏側の山側の病室らしく、窓からは山の景色以外何も見えず、ますます自分がどこにいるのかを解らなくさせてくれる。ここが、ほんとうにT市立病院ならば、前に何度か来た事がある。

「ロビーにドラえもんがいるはずだ」。
今思うと、その時すでに離脱症状が始まっていて、まともな考えとか精神状態ではなかったのだと思う。僕は点滴の針を引き抜き、ベッドから降り、縺れる足で病室を出た。出るとすぐ左にエレベーターが開くのが見えたのでそれに乗った。1から4まであるボタンの1を押す。しばらくすると、鈍い金属音とともに落ちて行くような感覚。
「気持ち悪い」何階から乗ったのか解らないが、時間の感覚がおかしくなっていたのだろう、地の底まで続くような、随分と長いエレベーターに感じた。
 
 ドアが開く。目の前のガラス張りの廊下は見覚えのある場所だった。
「外来受付のカウンターの横にドラえもんがいる」。
なぜそんな事を思っていたのだろう。ふらつきながら歩く僕に、ロビーで診察を待つ人達の目が一斉に向けられる。「何見てんだよ、こいつら」と思いながら、カウンターを通り過ぎ、意味不明の確信を持ってロビーの奥に目をやる。
「ほら、やっぱりあった。ドラえもん」そこは小児科診察室で、その入り口のとなりに大きな青い人形。やっとの思いで、ようやく辿り着いた僕を呼ぶ叫び声。
「○○さん!何やってるんですか!」担当の医者と看護士が血相を変えている。「だめじゃないですか!おとなしくしてないと!」
「すいません、ちょっと」と言いかけた僕は半ば強引に車いすに乗せられた。
あたりが騒然としている。どうしたことか僕に人々の奇異の目が寄せられている。
よく見てみると、さっき引き抜いた点滴を引き抜いた腕から、血がぼたぼたと流れている。病室に連れ戻される車いすから、僕の歩いて来た道のりに、大量の血痕が残っているのが見える。それこそ、そこら中の床や壁に。ちょっとしたホラーだ。

 病室に戻ると、そこもまた血だらけだった。ベッドや床、壁にも飛び散った血液が滴っている。後で聞いたのだが、点滴の針は引き抜いたというより、引きちぎったとの事だ。透明のチューブを体からつり下げその先から逆流した血を垂れ流し、何ごとかブツブツ言いながらよろよろと歩いていたらしい。
想像してみる。まるで、かなりとち狂ったあぶないキ○ガイみたいだ。

「辛そうですね、ちょっと強いお薬に変えましょうか。」
たしかに、どんどん具合が悪くなってゆく。今までにも感じた事のある、アルコールが切れた時のどうしようもない焦燥感と、からだ中を何匹もの虫が這い回る様なあの厭な感じ。
「体内のアンモニアを急激に下げられる、あ、まだ新薬なんですが、これを投与してもよろしいでしょうか。それで様子をみましょう」。
話を聞くとどうやら、本人の意思確認が必要らしい。相当強い薬なのだろう。
「なんでもいいから、はやくしてくれよ。気が狂いそうだ」。
ほんとになんでも良かった。この苦しみに比べれば薬の副作用なんてどうでもいい。一応、薬の説明を受けたのだが何も聞いていなかった。なんと言う名前の薬だったのかすら思い出せない。

だがこの新薬とやらが、とんでもない代物だったのだ。

2010年6月3日木曜日

独白。3

「○○さん、どうですか具合は、だいぶ落ち着いたようですが」
白衣を着た男が聞く。一歩下がった女はメモを用意している。

「血液の数値が異常です」
なんの話だろう。
いつのまに血液検査をしたのか、まだ若い清潔そうな男が言う。
「よく生きてましたね。辛くなかったですか?とにかく、いろんな値がめちゃくちゃです。見て下さいここ」
男が指差すグラフに目をやる。なんだかよく解らない棒グラフだ。
「数値が振り切っちゃってますよ」
たしかに、いくつかのグラフが表の枠の中に収まっていない。
「γ-GPTの値が6800U/Lです、なにかの間違いかと思いましたよ。こんな数値はじめて見ました。いったいどんな飲み方すればこうなるんですか?あと、GOT、血中アンモニア濃度、白血球、総タンパクすべてが高すぎます」。

 γ-GPTとかいうのは聞いたことがある。高いと良くないという事くらいしか知らないが、赤茶色に酒焼けした薄汚い顔色の中年がよく自慢げに話すあれだ。
聞くと健康な男性の数値は、12~70U/L程度らしい。内科で検査をして、200U/Lもあれば即入院だという。
「肝臓が相当ダメージを受けてますね。倒れたのは肝機能障害による高アンモニア血症のせいだと思います」
聞いていても何の事だかさっぱり解らないし、さっきから具合が悪くてしょうがない。
「いわゆる、アルコールてんかんです。今回がはじめてですか、倒れたり意識を失ったりしたことは?」
はじめてではなかった。自分では憶えていないが周りの友人に何度か指摘されたことがある。それにしても「てんかん」だとは。
「とにかく、点滴でアンモニアを下げます」
「あの、すいません、あたまの方は」
倒れてあたまを打ったからここに居るのだ。そう思って聞く僕に男が続ける。
「僕は内科の担当ですが」
どうやら、ここは総合病院らしい。救命から外科そしていつの間にか内科のベッドにいるようだ。
「あたまの方のレントゲン、これです。きれいな脳みそですよ、大丈夫みたいですね。萎縮も見られません。のちほど、CT、脳波など詳しく調べさせてもらいますが、心配いらないでしょう」
見ると僕のあたまのレントゲンだ。ほんとよく詰まっている。萎縮?ある訳がない当たり前だ。
良かった。じゃあ、すぐ帰れるな。そう思っている僕に男は恐ろしい事を話し出した。
「アルコールですが、長いですか?飲み始めて」
倒れるまでの飲み方はと聞かれれば。仕事柄、客の酒に付き合い、客の酒を飲むのも仕事。仕事帰りに知り合いの店で朝まで。朝から晩まで体からアルコールの抜けた日など、ここ二、三年ない。
「お話を伺う限り、依存が始まってると思います」。
自分でも異常だと気付いていた。ちょっとヤバいかなと。

 脳みそが、「梅酒の瓶の中の梅」のような状態の僕には聞きたくない言葉を男は続ける。
「アルコール依存症の疑いがあります。今までに離脱症状が出た事はありますか?」
離脱症状って、手が震えたり、幻覚見たり虫が見えたりするあれか。
「俗にいう、禁断症状です」。
「今夜あたりから二日程度、きついかもしれませんが覚悟してください」。
自分をただの大酒飲みだとごまかしていた僕だが、まさか、アル中とはな。

 この男の言う通りさっきから具合が悪くてしょうがない。問診に付き合うのも精一杯なくらいだ。からだは火照っているのに、悪寒がする。なにかざわざわとした不安感と何かに対する強烈な渇望。
 そうなのだ、飲みたいのだ。キツいウォッカを煽りたい。そうすれば、いくらか楽になれるのを知っている僕は、やはり男が言うようにアル中なのだろうか。
 さっさと点滴を打ってもらって、もうじき帰れるだろうと、そしたら一杯煽って寝てしまえば、あとはすっきりだ。

「はやく帰らせてくれ」と、そう思っていた。

だが、まだ僕は想像も理解もしていなかった。
離脱症状の恐ろしさを、薬物アルコールの持つ本当の恐ろしさを。

2010年6月1日火曜日

独白。2

僕は道を辿って歩いている。足場は悪く、ずいぶん狭い。
縺れる足でしばらく歩くと道は二股に分かれている。右へと歩みを進め、しばらくすると今度は三叉路に。細い道、足下を見ると道はいつのまにか編み目の様に交わり重なっている。道のようにも編み目のようにも見えるところどころは、隆起し、ひび割れていて、その隙間から甘く重たい臭気を漂わせている。
「そうか、そうだ。僕はメロンを買いに来たんだ」
そう思ったとたんに、さっきまで道か編み目だった足下が今度は、ずぶずぶとした腐った沼へと変わっていた。
「落ちる」と思うと次の瞬間には緑色の腐った沼に仰向けに沈んで行く。さっきまで道か編み目だった場所を見上げながら、なぜだかそこがメロンの中なのだと思う。「『メロンを買いに』って小説あったな、短編だっけ」
仰向けに沈みながらそんなことを思っていると今度は、道か編み目だったはずの沼が、血管の詰まった脳みそに見えて来た。そこが自分の脳みその中だと気付き、あたりを見回す。
すると、一ヵ所、どぼどぼと大量の液体をこぼしている場所がある。自分の脳みその中にいる僕は、「これは大変なことになっている」と思い、必死にそれを手で押さえながら「自分の脳みそを押さえるとは可笑しな話だ」とも思う。

 酷い夢に目を覚ますと、そこはベッドの上だった。となりで丸椅子に腰掛けうつむいていた母が顔をあげて言う。
「目が覚めたか。まったく、何やってんだい。二年も行方不明になってたかと思えば、みっともない。」と怒りと悲しみの入り交じったような顔を向けて来る。
「俺、どうしたの」「あんた、憶えてないの」
ほんとに訳が分からない。大体ここはどこだ。
「おばさん!○○が大変!ぶっ倒れて運ばれて死にそうらしい!
って、泣きながらあんたの友達から電話があって、びっくりして飛んで来てみれば」
友達とは小学校以来の友人だが、何故。さて、いったい、僕はどこでどうなってしまったんだろう。
「あんた、あたま見て見なさいよ」
見ろって言われても。と思いながらあたまに手をやってみると鈍く重たい痛みが左の後頭部に走った。あたまを何かが覆っている。無理矢理それを引き剥がし痛みのもとに手をやってみる。
「痛っ、なんだこれ」
触るとそこは周囲を綺麗に剃られた傷口だった。もう一度触ってみるとなんだかボコボコとしている。
「縫ってあるから触るんじゃないよ。ほんと、憶えてないの。あんた、スーパーの食品売り場で倒れたんだって。大騒ぎだったみたいだよ。バカ。」

 なんとなく、憶えているのはパプリカだ。冬だというのに嘘臭いほど熟れた、真っ赤なやつと黄色のパプリカ。
憶えているのはそれが最後。そうだ、それとズッキーニ、茄子。スーパーに買い物に行ったんだ。
それと、親父の顔。ああ、病院、さっきのは夢じゃないのか。
メロンじゃないのか。
 
 後から聞いた話だが、一緒にいた友人に聞くと突然、呻き声とも叫び声ともいえない声を上げながら仰向けに倒れ、後頭部を店中に響き渡らせるくらい激しく打ち付けたらしい。言っておくが、僕はキ○ガイとかの類いではない。
話を聞いただけでぞっとする。固いコンクリート、リノリウム張りのスーパーの床に、1.8mの高さからメロンを落とすとどうなるか。考えたくもない。

夕飯時という事もあり店内は多くの人がいた。
幸いな事に、倒れた時に偶然にも二人の看護士さんが居合わせていて、的確な応急処置と救急車の手配をしてくれたとの事だ。
みるみる血に染まる床。倒れて、泡を吹いている大男に動揺もせず。返り血もまるで気にせず、血まみれになりながら僕を助けてくれたらしい。
救急車に僕を乗せると何事も無かったかのように、名前も告げずに二人とも立ち去ってしまったとも。

本当に感謝しているのだが、お礼の一言を伝える事すら出来ない。

さっき、あたまから引き剥がした物を見てみる。
血でベットリと固まったガーゼと一緒に。なるほどね、メロンか。

人は、そう簡単には死なせてもらえないのである。

独白。1

迎えは無い。
少ない荷物をバックパックに詰めた。

 去年の今頃、僕はとある施設を後にした。三ヶ月ほど過ごし、妙な居心地の良さを感じ始めてしまっていた心とからだに言い聞かせた。
「もう、二度と来るまい、こんなとこ」僕は一度死んだのだ。

 あたまが焼ける様に熱い。なにかべっとりとした意識の中で、よく知っている顔が僕を覗き込んでいる。大きな声で何やら言っているが、さっきから耳鳴りが酷くて聞き取れない。父親だ。後ろの方で泣いている母の姿がぼんやりとだが見える。
「○○さ~ん!解りますか~!?わたしの指を握り返して下さ~い!」
そんな、聞いた事のある様な台詞を耳元で叫ぶ、青いろの服の若い男。
青いろの男の出で立ちと、さっきから部屋の灯りにしては眩しすぎるライトと、何やら慌ただしく動き回るいくつかの人の気配に、そこがどうやら、病院の診察台の上だという事を感じ取ることが出来た。まるで、他人事の様に。焼き付いた頭で。

 どれくらい経っただろうか、誰かが話す声で目が覚めた。相変わらず意識はべっとりとしたままだった。
意識の戻った僕に母が何事か話し掛けてくるが、頭が、体がいう事をきかない。どうやら、強い薬を打たれているようだった。
「意識も戻った様ですし、集中室から移しましょう」と話す白い男。僕はまだ状況を把握していなかったし、家へ帰れるものだとばかり思っていた。
 「離せっ!大丈夫だよ!帰れるて言ってんだろうが!」「落ち着いて下さい!」「~用意して!」
僕は華奢だが、わりと大男なので暴れると大変なのだろう。4、5人の白と青の男女に押さえつけられながら、「はい、チクッとしますよ」「暴れないで下さい」よくよく見ると注射どころか、体中に透明のチューブが突き刺さっている。白い男は、暴れる僕の腕にまるで暗殺者の様な手際の良さで針を刺さす。ガラス管の中の透明な液体があっという間に空になっていく。

その針が抜かれるか抜かれまいかの刹那、僕の意識は再び遠くへ飛んでった。